上智大のブランド力を上げた 1964年東京五輪・大学生通訳たちの活躍 (1/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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上智大のブランド力を上げた 1964年東京五輪・大学生通訳たちの活躍

1964年東京五輪の開会式があった旧国立競技場(c)朝日新聞社

1964年東京五輪の開会式があった旧国立競技場(c)朝日新聞社

 今年、東京オリンピック・パラリンピック大会は開催されるのだろうか。

 選手はもちろん、すべての大会関係者は気が気ではない。このなかに世界各国の代表選手および関係者などの通訳を担当するスタッフがいる。彼らは不安な面持ちで出番を待っているところだろう。

 いま、日本国内で通訳を任せられる人材はたくさんいる。

 しかし、日本で初めてオリンピックが行われた1964年、外国語を話せる人は多くなかった。そこで、もっとも頼りになったのが大学生である。

 拙著新刊『大学とオリンピック』(中公新書ラクレ)では、東京大会で活躍したICU、上智大、成城大、日本女子大、東京女子大、早稲田大などの学生通訳の様子を描いた。同書から紹介しよう(同書の一部を抜粋、再構成)。
【一覧でみる】名門大学がズラリ 64年東京五輪で通訳を務めた学生の所属大学は

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 オリンピックは大学の協力なしに運営することはできない。

 1964年東京大会でオリンピック東京大会組織委員会(組織委)は痛切にそう感じたことだろう。通訳が圧倒的に不足していたからである。

 大会期間中、競技進行を補助するにあたり、外国人選手や観光客に対応するためには、外国語を話せる人材が大量に必要となった。だが、現在と違って、当時は語学に堪能な日本人が多くない。そこで、組織委は大学を頼りにする他なかった。

 こうして大学生にも通訳を任せることが決まった。募集方法、養成形態で(1)学生通訳、(2)一般通訳と分けられていた。

 ここでは、学生通訳を中心にどのような仕事をしたのか見てみよう。

 63年に入ってから各校ごとに学内公募が行われ、学生通訳が決まった。7月、学生通訳は上智大の語学ラボラトリー(LL教室)で研修を受けている。10月にはプレオリンピック(東京国際スポーツ大会)で実践の場を設け、64年になると、全体講習会を開いて会話力の強化に努めた。8月には静岡県御殿場市にある国立中央青年の家(現・国立中央青少年交流の家)で研修合宿を行っている。

 学生通訳は外国語にはある程度、自信がある。しかし、競技の知識はまったくないという学生が多かった。東京女子大の学生通訳は担当するヨット競技について、大会の5カ月前から毎週日曜日に専門家から教えを受けた。当時、文理学部4年の和久井照代がこう記している。


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