(週刊朝日MOOK「歴史道 Vol.14」から)
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若くして&高齢で就任したベスト3

兄3人が夭折し父も51歳で死去したため、家継(5歳)は幼くして将軍に。家綱(11歳)は家光が38歳で得た待望の男児。すぐに跡継ぎとなり5歳で元服、病弱な家光が48歳で死ぬと11歳で将軍職を継承した。自分を推す一派が慶喜との後継争いを制し、家茂(13歳)は紀伊家から宗家を継いだ。

家康(62歳)は、苦労と我慢を重ね、還暦を過ぎてようやく江戸に幕府(武士政権)を開いた。家宣(48歳)は、伯父の綱吉が世嗣ぎの誕生に期待してなかなか将軍職を譲らず、襲封が遅れた。家慶(45歳)は父の家斉が若くして(21歳の時)できた子なので、結果として将軍就任が45歳となった。

(週刊朝日MOOK「歴史道 Vol.14」から)
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子だくさんベスト3

家斉(55人)は驚異的な数の子どもを強引に大名の養子や嫁に入れ、大藩の多くは家斉の血筋に変わった。家慶(27人)はこれだけ多くの子に恵まれながら、成人したのは2人だけ。子を沢山つくった家康(18人)だが、関ヶ原合戦後に誕生した3人は御三家の祖となり、政権の長期化に貢献。

側室の人数ベスト3

側室数ダントツの家斉(40人)に寵愛されたお美代はやりたい放題で、重臣もその顔色を窺った。家康(15人)は子孫を残すため経産婦の後家を多く側室に抱えたが、晩年は10代の若い側室が増えた。女性に興味がなかった家光(7人)だが、晩年は多くの側室を抱え、立て続けに男児を産ませた。

(週刊朝日MOOK「歴史道 Vol.14」から)
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大御所として政務をとったベスト3

家康(11年)が短期間で秀忠に将軍職を譲ったのは徳川政権の永続を誇示するため。しかし大御所として死ぬまで権力を手放さず。秀忠(9年)も父を模倣し、家光に将軍を譲り、大御所として君臨した。家康を崇拝していた吉宗(6年)も大御所政治をしようとしたが、中風発作のため十分には実行できず。

※週刊朝日ムック「歴史道 Vol.14」から

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河合敦

河合敦

●河合 敦(かわい・あつし) 1965年、東京都生まれ。歴史作家。多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。テレビ番組「歴史探偵」(NHK総合)他に出演。著書に『徳川15代将軍 解体新書』『お札に登場した偉人たち21人』『江戸500藩全解剖』『徳川家康と9つの危機』『日本史の裏側』など多数。

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