眞子さまと小室圭さん(c)朝日新聞社
眞子さまと小室圭さん(c)朝日新聞社

 上皇ご夫妻の平成の皇室を懐かしむ声とともに、才女の誉れ高い清子さんを懐かしむ声が湧き出してきたのだ。

 05年5月、清子さんは内親王として最後の36歳の誕生日を迎え、ご両親である上皇夫妻への感謝などをつづった誕生日の文書を出した。

 改めて読み返すと、迷い悩みながら誠実に公務に取り組んできた、清子さんの人柄が浮かび上がる。

<国内外の務めや宮中の行事を果たす中には、失敗も後悔もあり、未熟なために力が尽くせなかったと思ったことも多々ありました。また、以前にも述べましたが、目に見える「成果」という形ではかることのできない皇族の仕事においては、自分に課するノルマやその標準をいくらでも下げてしまえる怖さも実感され、いつも行事に出席することだけに終始してしまわないよう自分に言い聞かせてきたように思います。どの公務も、それぞれを通してさまざまな世界に触れ、そこにかかわる人々の努力や願いを知る機会を得たことは新鮮な喜びと学びの時でした>

2005年、春季雅楽演奏会を鑑賞に訪れ、開演前に話す紀子さまと紀宮さま (c)朝日新聞社
2005年、春季雅楽演奏会を鑑賞に訪れ、開演前に話す紀子さまと紀宮さま (c)朝日新聞社

 紀宮さま以前の内親王は、宮中行事などをのぞいては、日常の公務に携わることは、ほぼなかった。公務を担う内親王という型を定着させたのが清子さんだった。

 外国訪問でも相手国の歴史や文化、自然風土について念入りに学んで臨んでいた清子さんは、外国の王室との親交も深かった。20歳を迎えた夏には、上皇夫妻と親しいベルギー王夫妻から招待を受け、王妃の出身地であるスペインの別荘に滞在した。93年にボードワン国王が急死すると、悲しみに暮れたファビオラ元王妃は、スペインの別荘にこもる。悲しみに寄り添うように、元王妃のそばで過ごしたのは、清子さんだった。

 皇籍から離れたのちも、国賓を歓待する晩餐会に夫の黒田慶樹さんと何度も出席している。オバマ米大統領、ベルギーのフィリップ国王夫妻、トランプ米大統領夫妻などをもてなしてきた。いずれも、内親王時代の訪問や交流が縁となり招待が実現したものだ。

1991年 岐阜県に向かうためJR名古屋駅を経由する紀宮さま (c)朝日新聞社
1991年 岐阜県に向かうためJR名古屋駅を経由する紀宮さま (c)朝日新聞社

 皇室ジャーナリストのひとりは、こう話す。

「清子さんは、日本舞踊花柳流の踊り手として知られ、千代田区の国立劇場の舞台にも出演したご経験もあります。外国の賓客の接遇で着物をお召しの際も、姿勢がよく裾さばきなどの所作の美しい方でした」

 内親王として公務をこなすかたわら、父の上皇さま譲りの学者でもある。山階鳥類研究所の研究員として、鳥類の研究に没頭。結婚後も、客員研究員として地道に研究を続け、「山階鳥類学雑誌」(第49巻1号137号2017)に論文を掲載した。

 さらに、玉川大学教育博物館で外来研究員としても勤務。19年には、東京芸術劇場(東京都豊島区)で開催された特別展「石に描かれた鳥たち-ジョン・グールドの鳥類図譜」を企画した。会期中のパネルディスカッションでは、パネリストとして参加し、独自の見解を述べた。また、上皇ご夫妻を案内するほほえましい場面もあった。

次のページ