アリヴェ・ドゥ・デュ、サイノカミ(撮影:山田なつみ)
アリヴェ・ドゥ・デュ、サイノカミ(撮影:山田なつみ)

■雰囲気がほんとうに美しくて、死んだ子どもに会えるような気がした

 そんな風景に魅了され、父親から譲り受けた中判カメラ、ゼンザブロニカにモノクロフィルムを詰めて撮り始めた。

「デジタルカメラでも写したんですけれど、しっくりとこなかったですね。あまりにも景色が素晴らしすぎて、デジタルで残すのがもったいないというか。色や電子技術が介在すると時代性が入ってしまう。このままの状態を撮って保存するには、モノクロのフィルムじゃないと表現できない、と考えたんです」

 最初は「農作業をするおばあちゃんとかを『記録』として撮っていた」。しかし、すぐに「撮りたい気持ち、心情をそのままを記録する感じ」に変化する。原因は流産だった。

「非常にどこに行ったらいいのかわからない感じ」だった山田さんは、「すがるような気持ちで」集落を訪れた。すると、みんなが温かく迎え入れてくれた。

「撮影に行くと、『また来た』みたいな感じでもてなしてくれるんですよ。『今まで、元気してたか?』『あなたが好きなたくあんを漬けといたからね』とか、いろいろ話を聞いてくれたり。前に写した写真を見せると、とてもよろこんでくれて。すごく励まされた」

 さらに、「もう準備してあるので、撮ってください」と、言わんばかりの光景にたびたび出合った。

「腰の位置に霧が立ち込めているとか。振り返ると、村が水面に映っていて、えーっ、と思ったり。私が撮っているというより、カメラに導かれているとしか思えないような光景に毎回出合うので、ほんとうにどうなっているのかな、と。私にとって、ここは心がいちばん落ち着く場所でしたね。雰囲気がほんとうに美しくて、死んだ子どもに会えるような気がした」

プティット・フィーユ・ダンザン・シャン・ドゥ・コルザ(撮影:山田なつみ)
プティット・フィーユ・ダンザン・シャン・ドゥ・コルザ(撮影:山田なつみ)

■原発事故の直後、菜の花畑で写しとった白昼夢のような光景

 ところが翌年、さらなる不幸が降りかかった。東日本大震災で郡山の自宅は「ぺしゃんこにつぶれてしまった。たまたま外出していたからよかったんですけれど」。

 流れ着くようにやってきたのは福島第一原発から直線距離で約65キロ離れた宮城県角田市。新しい住まいの裏には広大な菜の花畑が広がっていた。そこで白昼夢のような光景を目にし、シャッターを切った。

「そのとき、放射線の値がけっこう高かったんです。なのに、みんな和気あいあいと写真を撮ったり、子どもが駆け抜けていった。天国みたいな場所が広がって、ふわーっと浮遊しているように見えた。『いったい、ここはどこなんだろう』と。そういう事故が起きたときって、人々がののしり合ったり、物を取り合ったり、世紀末のような光景がさまざまな映画で描かれてきたのに、それとはあまりにも違いすぎて、もうどこにピントを合わせていいかわからないくらいすごく動揺したことをはっきりと覚えていますね」

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モノクロ写真に宇宙のような広がりを感じる