撮影:野呂彰
撮影:野呂彰

 ただ、実際には「『あの人ええなあ』『被写体になってほしいなあ』という人に『撮らせてほしい』と、アタックする」ケースがいちばん多い。「ぼくはこういうことで写真を撮っているんや、ということを一生懸命に言うてね」。もちろん、「いやや」と断られることもあるが、「それは仕方ない」と言う。

「西成には肖像権とかを非常に気にする人がいっぱいおるんですわ。カメラを持って歩いておっても、『撮るなよ』という人はいっぱいおる。だけど、『撮ってええよ』という人も案外たくさんいてる」

 いちばん難しいのは話を切り出すタイミングという。

「興味本位で撮ったらね、まあ、嫌がるわ。でも、自分はこういう信念で撮っているんや、言うたらね、理解してくれる人は多い。ぼくはそういう人を撮らせてもらえて幸せやと思う。自分の人生を言うてくれてね」

 生まれ育った故郷のこと。これまでどう生きてきたのか。そしていま、何を楽しみに生きているのか。「うちに上がり込んで、話をいっぱいした」。

撮影:野呂彰
撮影:野呂彰

この人たちの人生は写真だけでは表せないけれど、書けないこともある

「人間ってね、みんな優秀で、礼儀正しいとか、ありえんと思うねん。落ちこぼれの人、一生懸命にやったけれど失敗した人。人間関係がうまくいかなくて、という人は多いですわ。ここはそういう人でも住める町やと思う」

 今回の展示作品には含まれていないが、「ぼくがたまに会って撮っている前科35犯という人。そんな人、何人もおるよ。でも、この町をずっと見てきて思うんやけど、話したら、ほんまにいい人が多い」。

「ここへ来たらほっとする、という人もおる。それはなんでかというと、朝からビールを飲んで座っている人が横におっても、友だち、仲間みたいなもんやからね。やっぱり人間って、一人では生きられへん」

 訪れた家は約100軒。一人ひとり、積もる話に耳を傾けてシャッターを切った。それだけに、「写真だけでは表されへんな。この人たちの人生を」という思いがある。

 そんなわけで、展示作品には文章をつけるつもりだが、中途半端になってしまわないか、悩む。

「みなは書けへんな(笑)。書けるのと、書けへんのがあったらどないしようかな、と思って」

                  (文・アサヒカメラ 米倉昭仁)

【MEMO】野呂彰写真展「赤とんぼ-西成隣人-」
ポートレートギャラリー 3月25日~3月31日