Decoration/Face(部分)2008年(C)Tomoko Sawada
Decoration/Face(部分)2008年(C)Tomoko Sawada

セルフポートレートでない唯一の作品「Sign」

 さて、今回の展覧会に合わせてつくられた写真集は2種類あり(詳細は文末に記載)、最新作「Reflection」(2020年)から大学時代に制作した「Untitled」(96年)が収められている。

「25年間、変化はありますけど、全然ブレを感じないですね」と、感想を口にすると、「そうですね。でも、10年くらい前、作家でやっていくことをあきらめかけていた時期があったんです」と、意外なことを口にする。そして、写真集を開き、ケチャップとマスタードのボトルを題材にした作品「Sign」(12年)を見せてくれる。セルフポートレート以外の唯一の作品で(ただし、「影法師」の被写体については未公開)、これを制作する前、澤田さんは深刻なスランプに陥っていたという。

「08年ごろ、海外でたくさん展覧会を開いて、活躍のピークのように見えていた時期にスランプの影が見え始めていたんです。でも、大丈夫だろう、気のせいだろうと、見ないふりをしてきた。具体的に言うと、マンネリ。つまり飽きてきた。同時に飽きられる恐怖みたいなのが出てきた。08、09、10年……たぶん11年くらいがいちばん底、どん底だったんです」

 自分の作品に飽きてきた自分と、次に進む勇気がない自分とに挟まれてしまった。動こうにも自信がなく、動けない感じだった。それまでの評価を手放すことを怖いと思う自分の心にも気づいてしまった。

「ああ、こうやって作家って消えていくんだ。もう私、日本では『消えた』って言われているのかな、とか。いろいろ悪い妄想をしましたね」

Sign(部分)2012年(C)Tomoko Sawada
Sign(部分)2012年(C)Tomoko Sawada

「ああ、もうこれをやり出したら、作家でやっていけなくなる」

 そんなとき、ピッツバーグにあるアンディー・ウォーホル美術館から制作依頼が舞い込んだ。それにはいくつか条件があり、その一つは市内の老舗企業とコラボして作品をつくる、というものだった。

「ケチャップのハインツ社のように超有名なところはすでに企業イメージがついているから、最初はあまり知られていないローカルな会社に目を向けたんです。鏡の会社で、鏡で何かできるかな、とか」

 しかし、試してみると、技術や手法だけでこなした、「こじつけのセルフポートレートみたいに」なってしまった。

「作品の『コンセプト』じゃなくて、『手法』に流れてしまった。ああ、もうこれをやり出したら、本当に作家でやっていけなくなると思った。それで、やめた」

 この状況から抜け出すにはスランプであることを周囲に打ち明け、自分自身がそれをきちんと認めるしかないと思った。

 まず、写真とは関係のない友人たちに「ちょっとずつ吐き出していった」。

「そうしたら『ふーん、そーなんだ。でも、知ちゃんだったら大丈夫だよ』と言われて。(あれ? そんな軽い感じなの?)と思った。でも、それがよかったんです」

 次に成安造形大学の恩師・畑祥雄先生、写真家の石内都さんらに「つくれない」と打ち明けた。すると「ああ、そうか、と思うような言葉をくださった」。

 最後は同世代の同業の友人。「そうしたら『あるよねえ』みたいな感じで。みんなそうか、私が大げさに考えすぎていたかな、と」。

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思い切ってセルフポートレートじゃないものをつくろう