宮城県東松島市・大曲浜獅子舞(撮影:岩波友紀)
宮城県東松島市・大曲浜獅子舞(撮影:岩波友紀)

 当時、私は写真雑誌「アサヒカメラ」の編集者で、震災や祭りの特集づくりを通じて「こんなときだからこそ祭りを復活させたい」という被災地の祭り関係者の声を聞いていた。それはもうたいへんな熱意だった。主催者の一人はがれきのなかを山車が練り歩くのを目にして涙が止まらなかったという。

 しかし、岩波さんは「不思議だなあ、と思ったんですよ。こんなときに、どうして祭りをするのだろうか」と。

「身内を亡くしたりしているし、生活でいっぱいいっぱいじゃないですか。祭りというのは、まあ余興みたいなもので、あえてそういうときにわざわざすることはないんじゃないかな、そこまで意地を張って祭りをやるとはどういうことなんだろうな、と思ったんです」

福島県浪江町・請戸の田植踊(撮影:岩波友紀)
福島県浪江町・請戸の田植踊(撮影:岩波友紀)

町内会が壊滅してしまい、祭りのときにしか集まれない

 被災地の祭りに「重要な意味合いがあると」気づいたのはそれから2年後、同じ陸前高田市の「うごく七夕まつり」を訪れたときのことだった。

「知り合いがいたので行ってみたら、町内会とかが壊滅してしまって、祭りのときにしか集まれないんだよ、という話を聞かされて、(ああ、そういうことなんだ)と。そこから、被災地のお祭りとか、芸能みたいなものをまわってみようと思い始めたんです」

 最初は「岩手、宮城、福島、3県の祭りを全部まわろうと思って、取材を始めた」。ところが、「とんでもない数の祭りがあるとわかって。でも、もう始めちゃったしな、みたいな感じで。でも、けっこうまわりました。芸能の数で言うと、100ちょっと」。

 作品を目にして、まず感じたのは、色鮮やかな山車や祭りの衣装と、周囲に広がる光景とのあまりにも大きな落差だ。風情ある街並みや生活のにおいといったものが根こそぎ奪われてしまった現実を見る思いがする。

 震災の5年後に撮影した「うごく七夕まつり」の写真には色鮮やかな電飾をまとった2台の山車がぽつんと、夕闇せまる夏草の生い茂った空き地に浮かび上がっている。その背後で進む大規模な嵩上げ工事。

 宮城県東松島市の「大曲浜獅子舞」では、紅白幕で飾られたトラックが獅子舞とお囃子を載せて走っていく。

「家がないので、こうしてトラックでまわっている」と言う。周囲はかつての集落跡なのだろう。薄っすらと雪の積もった空き地と嵩上げされた真新しい地面が空虚に広がっている。

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放射能レベルが下がってようやく奉納できた踊り