撮影:久保田良治
撮影:久保田良治

 しかし、久保田さんはどういうつもりで彼らを撮影したのだろう。最初から作品化する目的で撮影したのであれば、「同じ目線」と言うのはちょっと違う気がする。そんな疑問をぶつけると、「そのときは作品を撮っているつもりは全然なかったんです」と言う。

「ぼくは感じたものを常に撮っているタイプの人間なんです。毎日撮っている。それを昔からずっと続けている。日記を書かない代わりに、記録みたいな意味合いがあるんでしょう。考えないで、(これ、いいな)というものを忠実に撮っている」

 結果的にこの作品は、路上で出会った人々から学び、生きることの意味を発見していく過程の記録になったという。だから、レンズを向けたのは自分を含めた、ぼくらなのだろう。

 先ほどの写真に路上で寝そべっていた男、「ティム(仮名)は友だち。ぼくもここに寝転んで。年末年始はけっこういっしょにいました。すごく寒くて、服は10枚ちかく着込んでいます。ここはトロントのタイムズスクエアみたいな場所。人が多いからぼくらも集まってくる。お金をもらえるチャンスがある。生き残るための技術なんです。もちろん、競争も激しい」。

「ぼくが困難を乗り越えてこられたのは、さまざまな人たちとの出会いがあり、助けられてきたから。みんな、心とか、体とか、なんらかの問題を抱えていた。だから、働くのは難しい。特に悲劇的なことがあって、帰る場所もないと絶望的になってくる。それでも自分の道を歩もうとする生きざまを目にしてきました。そんな彼らはぼくの友人であり、人生の師でした」

撮影:久保田良治
撮影:久保田良治

情報の多い色は物事の本質を見えにくくしまう

 この作品にはゴールがあるという。それは、プリントを完成し、展示することで、「仲間たちの、ありのままの姿」が現れ、会場を訪れた人と出会うこと。すばらしいプリントにはそんな力があるはずだと。

 もともとカラー情報を含むRAWデータで撮影したものを、手間をかけてモノクロの銀塩プリントにしたのには「人間の奥底にある真実を見てほしいという願い」が込められている。

 色は多くの情報を与える一方、物事の本質を見えにくくしてしまうのではないか。だからこそ「色がない不自由さ」を選んだという。

                 (文・アサヒカメラ 米倉昭仁)

【MEMO】
久保田良治写真展「A Door of Hope」
リコーイメージングスクエア東京
2月4日~2月22日