撮影:赤城耕一
撮影:赤城耕一

この作品をつくるまで、カラーネガで撮ったことはなかった

 写真の内容には何の脈絡もないのだが、ご覧のように、作品はすべて真四角の画面に写しとられている。それだけが「お約束」だそうで、その多くはローライやハッセルブラッドなど、いわゆる「6×6判」のカメラで写されている。ちなみに、写真展のタイトル「録々」は、「写しとって保存する」という写真の役割に6×6判をかけたもの。

 実を言うと、今回のインタビュー、開始直後から作品の内容とは別の、まったく予想外の話へと突き進んでいった。それは撮影に使ったフィルムのことだった。

 喫茶店の席に座ると、赤城さんは「この作品をつくるまで、カラーネガで写真を撮ったことがなかったんですよ。それまでは全部ポジ」と告白し、意外な話を始めた。

「驚いたんだよね、カラーネガフィルムの持つチカラに。俺はそれに気づくのが遅かったんだ」

 気づくのに遅れたのには訳がある。今年59歳の赤城さんはこう続けた。

「われわれの世代の写真家は、カラーネガって、軽んじていたんですよ。アマチュアが使うもの、というか、ポジに比べて解像力が若干低いという先入観があった。だからそれをプリントして、印刷用の原稿とするのはちょっとありえない感じだった。ポジは1/3絞りで撮影結果が変わる世界だから、それを『当てる』のがプロの矜持、みたいなところもあった。最後のポジ世代として、そんな感覚をずっと引きずってきたんです」

撮影:赤城耕一
撮影:赤城耕一

「片づけが嫌で」CP32に破れた男

 そんな意識が変わったのは10年ほど前、インテリアの撮影を頼まれ、シノゴの大判カメラで写したときだった。さまざまな色の光が入り混じる難しい撮影条件だった。

「で、ミックス光に強いカラーネガを使ってほしい、と言われて。そのときは『えーっ』と思ったんだけど、仕上がりを見たらすごくきれいだったわけ。カラーネガフィルムのチカラを思い知らされた」

 これをきっかけにカラーネガを使い始めたことについて、「新しい風を入れたくなった」と、別な理由も語る。

「それまでの作品は、モノクロのプリントで勝負をかける、みたいな気持ちで延々とやってきた。まあ、何かきっかけが必要だったんですよ。新しことをやるにはね」

 撮影機材や記録メディアを変えることで新しい作品づくりをする。それは別に赤城さんにかぎった話ではない。昨年亡くなった須田一政さんはその典型で、中判カメラから小さなスパイカメラまで、繰り返し機材を変えることで新しい作品を生み出してきた。

 ただ、赤城さんの場合、それまでのモノクロ作品と同様、「プリントまで自分でやんなきゃダメだ」という思いが強かった。そのため、LUCKY CP32という高額なカラー印画紙現像機も購入した。

 ところが、想像以上にランニングコストがかさんだ。作業スペースを完全に真っ暗にするのも難しく、昼間は作業ができなかった。

「あとね、CP32って、ものすごくメンテナンスが大変なの。ローラーを洗ったりとかさ。プリント作業を終えた後がすごくつらくって」と、顔をしかめる。

「早い話、俺は片づけが嫌で、CP32に破れた男なんだよ(笑)」

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6×6判で撮る面白さとは?