撮影:新山清
撮影:新山清

「リアリズム写真」以外の作品を許さない空気

 土門の「リアリズム写真」への情熱はアマチュアの心をとらえ、日本の写真界に大きなうねりを起こしたが、そのぶん反発も強かった。

 写真雑誌「カメラ」で月例写真コンテストの審査にあたった濱谷は選評で、こう書いている。

<おどろきました。リアリズムの押売りみたいです。キタナイモノ、イコオル、リアリズムと解するアンチョコな写真が一パイ集まりました。私はそういう写真をクソリアリズムと呼んでいたのですが、正しくそれが実証されたのです>(1951年9月号)

 植田もやはり「カメラ」誌に、こんな皮肉を込めた文章を寄稿している。

<リアリズムに非ざれば、芸術にあらず、よって芸術写真家たるもの、リアリズムの写真を撮らざる可からず、という御時世で、も杓子もリアリズムを有難いお経のように唱えながら、ワイワイガヤガヤ>(52年6月号)

 しかし、濱谷や植田の声は「リアリズム写真」以外の作品を許さない空気によってかき消されてしまった。植田は生前、こう語っている。

<私の演出写真は、戦争の激化で一度、そして、このリアリズムの嵐の中で、二度目の中断をよぎなくされ、しばらくはわが風土の中で、子供たちを撮りつづけた>(『植田正治 昭和写真全仕事 第10巻』)

 一方、清さんはさまざまな被写体を写していたが、特に枯れ木や自然石の造形美に引かれ、独自の視点を作品に写し込んでいった。

白地に黒く写し出された花びらの力強いライン

 今回は残された膨大な作品の中から花をテーマに写真展を開催する。異色なのはすべての作品がカラーでなく、モノクロで写されていることだ。清さんは色鮮やかな花をモノトーンで描写することにこだわった。

 もっとも印象的な作品は亡くなる7年ほど前に撮影された「朝顔」シリーズで、近年、清さんへの再評価が高まるドイツで写真集にまとめられている。

 そのモチーフはアサガオなのだが、涼しげで上品なイメージとはまったく違い、白地に黒く写し出された花びらの輪郭や花脈の力強いラインが美しい。

 洋一さんによると、乾燥させたアサガオの花びらをライトボックスで下から照らし、透過光で浮き上がった姿をミニコピーという超ハイコントラストなフィルムで写したものという。

 会場には「朝顔」以外にもさまざまな年代に撮影された作品が展示されるが、リアリズム写真運動のさなかに批判の的となりながらも、一貫してこのような作品を撮り続けたことに思いをめぐらせると、いっそう興味深い。

 ちなみに、1950年代半ばになると、土門の提唱したリアリズム写真は社会の底辺にばかりカメラを向ける定型化したものに陥り、力を失っていくのだが、その後、同様なこと風景写真でも繰り返されていると、清さんは生前、苦言を呈していた。

 清さんは植田と同様、アマチュア写真家の指導に熱心に取り組み、自分の好きな題材を発見して写すことの大切さを生涯説き続けた人であった。

                  (文・アサヒカメラ 米倉昭仁)

【MEMO】新山清写真展「花」
Jam Photo Gallery
東京都目黒区目黒2-8-7 鈴木ビル2階 B号室
11月3日~11月15日
https:jamphotogallery.com