撮影:古賀絵里子
撮影:古賀絵里子

写真家・古賀絵里子さんの作品展「BELL」が10月23日から東京・新宿のニコンプラザ東京 THE GALLERYで開催される(大阪は11月26日~12月9日)。古賀さんに話を聞いた。

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 インタビューの間、古賀さんは作品をようやくつくり終えて肩の荷が下りたせいか、笑顔が絶えなかった。「撮影中は、もうずーっと、ずーっと押しつぶされそうになっていましたから(笑)」。私も古賀さんにつられて笑った。ただ、私の場合、胸の奥にチクチクと痛みを感じる苦笑いだったのだが……。

撮影:古賀絵里子
撮影:古賀絵里子

 今回の写真展「BELL」にはネタ元となった話がある。能楽や歌舞伎、映画、小説などの題材にもなってきた「安珍清姫物語」である。

 929(延長6)年、奥州から野詣にやって来た若い修行僧・安珍は途中、紀伊国で一夜の宿を求めた際、そこの娘、清姫に一目惚れされてしまう。清姫に懇願された安珍は熊野からの帰りに再び立ち寄ることを約束する。

 ところが、戻るころになっても安珍は現れない。面倒になって逃げたのだ。恋心に燃える清姫は安珍を追い、やっとのことで再開するのだが……「人違いじゃない?」。そう言われ、怒り狂う清姫。再び逃げる安珍。それを執念深く追いかけていくうちに清姫は憤怒のあまり炎を吐く大蛇と化す。「これはヤバいことになった」と安珍は道成寺(和歌山県高川町)に逃げ込み、鐘の中に隠れるのだが、大蛇に変身した清姫は鐘もろとも安珍を焼き殺してしまう。そして自らも入水するのだ。

 その後、安珍と清姫は寺の住職の夢枕に現れ、こう願う。蛇道に落ちてしまった、法華経の功徳で成仏させてほしいと。不憫に思った住職は手厚く供養した。すると、2人は天人の姿になって再び夢枕に現れ、別々に天上界に飛び立つ、という話だ。

 ちなみに、この物語には後日談がある(ということは、単なる伝説ではなく、話の元となった事件が実際にあったのだろう)。道成寺は焼かれて失われた鐘を1359(正平14)年に作り直したところ、災厄が続いたため、鐘を山林に埋めてしまう。その後、1585(天正13)年、秀吉の紀州攻めの際、大将・仙石権兵衛がこの鐘の話を聞いて掘り起こし、京都に持ち帰った。

撮影:古賀絵里子
撮影:古賀絵里子

もうみんな、身に覚えが一つや二つはあると思うんですよ

 その鐘が現在、「安珍・清姫の鐘」として京都、岩倉の地にある名刹、妙満寺に納められている。

 実は古賀さんの夫はこの妙満寺、大慈院の住職なのだ。そんなわけで、この物語は古賀さんにとってはとても身近な存在だった。

「昔からいろいろ表現で、ときには面白おかしく受け継がれてきた話です。清姫は執念深い女、現代ふうに言えばストーカー。安珍はそんな女につかまったちょっとかわいそうな男、みたいな感じに一般的にはとらえられている。でも、それは男性的な見方な気がして、すごく違和感があったんです。女性の視点からこの物語を表現してみたいという気持ちがあった」

「もうみんな、身に覚えが一つや二つはあると思うんですよ」。そう、面と向かって言われると、私はもうあいまいに笑うしかない。

「安珍は一夜を借りて清姫と契りを交わすわけですよ。私はお寺の中に入った者なので僧侶であっても人間であることは十分承知しています。安珍も人間だから女性に対する煩悩とか、ちょっと女性と遊んでみたい気持ちがあったと思うんですね。でも、清姫からすれば必死なわけですよ。私も恋愛のときはすごく必死だった。すごい形相で男の人を追いかけていたのでは、と思う。清姫の中に降り立って、本当につらいときってどんな感じだったのか、そのとき世界がどういうふうに見えたのか、真摯に向き合いたかった。安珍も清姫も私たちと変わらない普通の人間。だから、誰もが安珍であり、清姫。そういうことを写真で表現できたらいいなあ、と思っていたんです」

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今まで目を背けてきたこの物語に取り組むしかない