撮影:清水哲朗
撮影:清水哲朗

 写真家・清水哲朗さんの作品展「おたまじゃくし-Genetic Memory-」が10月9日から東京・新宿のオリンパスギャラリー東京で開催される(大阪は10月30日~11月11日)。清水さんに聞いた。

【作品の続きはこちら】

 作品を見ていくと血のにおいが立ち上ってくるような気がした。先祖代々受け継がれてきた独特の風習、昭和の面影。そんなイメージに作家、横溝正史の、あのおどろおどろしい世界が重なった。

『犬神家の一族』『八つ墓村』『獄門島』。隔絶された集落で起こる血縁争い、よそ者には理解しがたい土着文化。そんな湿っぽい恐ろしさがとても魅力的だった。

 横溝作品には事件を解く鍵として家系図がたびたび登場する。そこには知られざる空白があり、それに気づいた探偵、金田一耕助は事件現場から遠く離れた地に足を運び、封印されてきた血のつながりを知るのだ。

 清水さんの旅も家系図から始まった。しかし父親からは「本当の故郷を知ったところで何になる」と突き放された。「親戚に聞いてみたりもしたんです。でも、養子だったり、ややこしい。そういうところで引っかかっちゃって、それ以上先には行けなかった」。

撮影:清水哲朗
撮影:清水哲朗

生まれ育った土地に思い出はあるものの、「故郷」ではない

 自分はいったい何者なのか? どこからやってきたのか? 血脈の謎を解くための旅の記録がこの作品であり、作者の心の動きが作品の流れになっている。

 インタビューのなかで、清水さんは自らのアイデンティティークライシスを明るく語った。母の地元、横浜市で生まれたこと。幼少期から10歳までは父方の祖父母のいた千葉県船橋市で育ち、また横浜へ戻ったこと。

 故郷は横浜、船橋じゃあないんですか? そう、たずねると、「うーん、どちらでもないですね」と言う。久しぶりに船橋を訪ねてみると、小さな自然が残っていた谷津田は中途半端な住宅地に変わっていた。かつての仲間からは「東京かぶれが帰ってきた」みたいな対応をされ、受け入れてもらえなかった。そんなわけで、それぞれの土地に思い出はあるものの、「故郷」の概念はないという。

 そんなことをぼんやりと意識して日本各地を撮り歩くようになったのは17年ほど前。それを2007年、写真展「ひだまり」で発表した。

「でも、今回の作品とはぜんぜん違いますね。もっと軽いノリだったんです。それに、見る人への『サービス性』というか、あまいところがあった。だから、もういらないな、と思って、ほぼ捨てちゃいました」

 ターニングポイントとなったのは東日本大震災(11年)。「それからは、はっきり『故郷を探そう』と意識するようになりました」。まぶたに焼きついたのは、津波によってすべてが押し流されたものの、その土地で生き続けようとする人々の姿だった。そこには何があるのだろう。

 震災をきっかけに、再び、日本中を旅した。とはいっても、先に書いたように家系図からの試みは挫折し、今度は「北方系か南方系かという、身体的特徴からの故郷探し」。要するに「あてのない、雲をつかむような取材をしていたんです」。

次のページ
「ジェネティックメモリー」という言葉に出会う