チンパンジー(ウガンダ・キバレ国立公園)「僕にできることは、けっして自分が脅威にならないという念を発しながら、そばに居続けることだけだった」(前川さん)■キヤノンEOS-1D X・EF16-35mm F4 L IS USM・ISO2500・絞り開放・1/125秒
チンパンジー(ウガンダ・キバレ国立公園)「僕にできることは、けっして自分が脅威にならないという念を発しながら、そばに居続けることだけだった」(前川さん)■キヤノンEOS-1D X・EF16-35mm F4 L IS USM・ISO2500・絞り開放・1/125秒
「傑作をものにしたい」熱い気力が満ちあふれていた

 エッセーは26歳でこの道を志した前川さんの動物写真家人生の集積でもある。作者の生い立ちや創作の内側などを綴っている。自らの身辺を見つめるなかで、「自分が動物を撮る」ことの意味を問う。「動物写真家」とはどんな職業なのか? ページをめくると、変わりゆく撮影に対する心持ちの道筋をたどるような気分になる。

 連載第一回目を再録した本書の出だしは「ホッキョクグマ」の親子。若き動物写真家が初めて取り組んだ被写体。気持ちが先走っていた。

<傑作をものにしたいという熱い気力だけは満ちあふれていた。どんな写真を撮るのかあれこれ考えたが、これだという揺るぎない答えが出る訳もなく、ただがむしゃらにシャッターを切った>
 ところが、中盤に差しかかると、こんな文章が目にとまる。たぶん、書いたのは40代後半だろう。

<だんだんと、撮ることの意味とかに、あまり重きを置く必要がないかなと思うようになった。撮りたいから撮る。腹が減るから食う>(アカビタイキクサインコ)

 カメラを支える肩から力が抜け、写真家としての円熟味が増している。四十にして惑わず、の境地だろう。

そばにいることを少しだけ許容してくれるときが訪れる

 一貫して変わらない思いにも気づかされる。最初はやはりホッキョクグマ。

<この親子のポジフィルムをルーペでのぞいているとき、ひょっとすると僕たちと野生動物との間に、僅かながら接点があるのではないかと考えるようになった。(中略)ただの思い込みにすぎないにせよ、このとき以来、その考えは動物と対峙するさいの根底を成している>

 野生動物の写真を撮ること、それは彼らとの「接点」を模索することだという。それが目の前であろうと、はるか遠くであろうともだ。

<目には見えない意識を交錯させてコミュニケーションをする。分かり合えるなんて思いはしないが、長い時間を共有すると、そばにいることを少しだけ許容してくれるようになる。変化が訪れるのだ。それこそが野生動物を相手にする上で、最も重要なことかもしれない>(エゾクロテン)

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