過去や未来につながる風景。写真家・鈴木理策にとっての熊野 (2/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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過去や未来につながる風景。写真家・鈴木理策にとっての熊野



熊野が持つ変わらない魅力

――鈴木さんにとって熊野はどんな場所ですか?

 ぼくの父方は代々、那智山で滝行をしていたんです。那智山には那智の滝をはじめとする大小48の滝が点在していて、それを巡る修行が「那智四十八滝回峰寒行」。

 それが1872(明治5)年の修験道廃廃止令で途絶えてしまったんですが、30年ほど前に那智山 青岸渡寺の高木亮英副住職が復活しました。うちの曽祖父が滝の場所を記したものを残していて、それが滝行復活の一助になったようです。ぼくは滝行はやっていませんけどね(笑)。

 生まれ育ったのは和歌山県の新宮市で、お燈まつりが行われる神倉神社のすぐ下にある小学校に通っていました。

 熊野の風景は、不思議なほど変わらない印象があります。

 明治時代につくられた『熊野百景寫眞帖』という写真集があります。これは新宮市に写真館を開いていた久保昌雄さんが撮影した新宮、那智山、太地、串本など熊野の百景を写真帖にして、1900(明治33)年、皇太子(のちの大正天皇)の成婚を祝して宮中に献上され、その後、焼き増しして制作されたものです。

 これとまったく同じ場所をお孫さんが撮影し、昌雄さんの写真とともに『今昔・熊野の百景』(はる書房)という本にまとめ、2001年に刊行されています。この本では百年という時間をへだてた風景を見比べることができるのですが、それらは驚くほど変わっておらず、とても驚きました。

 自分がいま見ている風景が過去につながっていることを実感し、未来にもつながっていくことも想像しました。そして、現在がとても不思議な感覚につつまれました。

 ただ、新宮の街並みは、子どものときと比べるとだいぶ変わりました。1946(昭和21)年に昭和南海地震があって、新宮の市街地は半分消失してしまいました。そのころに建てられた家が、壊されて駐車場になったりしています。

 表面的な新陳代謝はあるけれど、ずっと変わらないものがある。熊野は自分にとってそういう場所です。変わらずにあってくれることがとても安心するし、心地いいです。

 海と山が近く、観光地化されていないローカルな行場や神社、滝などがたくさんあって、癒されるというか、身体がよみがえる感覚があります。熊野観光のキャッチコピーみたいなので、あまり言葉にはしたくないんですが、けっこうそのとおりのこともあるかな、と思います。


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