悪いと決めつけられたことをみんなで袋叩きにしたり、本来はその人の自由であるはずのことを批判したりするような風潮には疑問がありますが、逆に言えば、日本ではムーブメントを起こせばみんなが動く可能性もあるということですよね。もうちょっと自分がアプローチを変えていくことで、賛同してくれる人が増えるのなら寄付やボランティアへの意識も変わるかもしれない。そして、使命感を持って動いている人が萎縮したりせず、「誰かのために動くのは素晴らしいこと」だという価値観を子どもたちやその次の世代に残して支援の輪が広がっていってほしい。自分がその役割を少しでも担いたいと思っています。


活動を通してさまざまな世代と交流を重ねる(本人提供)
活動を通してさまざまな世代と交流を重ねる(本人提供)

 特に情報発信には気をつけています。良かれと思ってやったことが迷惑になりかねないので、SNSでたくさんの情報が錯綜する災害時、自分がSNSを使って誰かに何かを伝えるときは、自身で裏取りし責任を持って調べ発信しています。SNSは色んな立場の人が見ているので、言葉選びはとても気をつけています。

――誰かの団体に協力する方法もあったと思いますが、あえて自分が先頭に立って動く理由は?

 私がここまで自分の足で立って、子どもたちを育ててくることができたのは応援し続けてくれたファンの皆さんや、私が手がけたものを選んでくださった方々がいてくれたおかげだと思っています。そして私をタレントとして育ててくれたスタッフの方たちにも、恩返しがしたいです。

 離婚した当初、いろいろな報道がされていたので、私が恵まれた環境だったと思っている方が多いかもしれませんが、実際は「1人でどうやって子どもたちを育てていこう……」と、精神的にもかなり苦しい状況でした。子育てシングルマザーに優しい社会に変わってきたと言われていますが、私自身は生活の中でそう感じることができませんでした。それでも今、子どもたちとの生活があるのは本当に皆さんのおかげです。

 女優を目指して14歳で芸能の仕事を始め、10代後半で芸能活動と両立させながらアパレルブランドを立ち上げて、自立する術も身につけました。子どもを産んでからは1クール(3カ月)のスケジュールがほぼ拘束されるドラマなどの仕事を諦め、数時間の撮影で子どもとの時間を確保しながら続けられる雑誌の仕事を中心に、プロデュース業なども積極的にさせていただきました。そこで女の子たちと自分の好きなものを共有できたことが本当に楽しかった。当初の目標から形を変えながらも、私自身の夢やキャリアを追うことは達成させてもらえたと思っています。子どもたちも今、11歳と9歳になり少し余裕もできてきたので、今までの仕事に加え、ものづくりやライフワークであるボランティアも、責任を持って自分が中心となって動いていきたいとここ数年は考えていました。その決断ができたのが昨年であり、台風15号が大きな転機でした。

(撮影/大野洋介)
(撮影/大野洋介)

 与えられた場所で自分なりの楽しみ方を見つける。両親がそういうふうに育ててくれたことにも感謝しています。

 父は化粧品やアパレルの会社を経営し、たくさんの社員を抱えて忙しかったはずなのに、よく商店街の掃除や交通整理のボランティアをしていました。幼い頃は、誰に対しても腰が低い父がかっこ悪いと思っていた時期もあったのですが、人の役に立ってこそ人生が潤うと私が考えるようになったのは、父の影響だと思います。父がそういう場所にいつも私を連れて行ってくれていたように、私も可能な限り息子たちと一緒に活動をしていきたいと思っています。

(聞き手・構成/AERA dot.編集部・金城珠代)