菅原文太さん=2013年に農園で撮影(写真部・馬場岳人)
菅原文太さん=2013年に農園で撮影(写真部・馬場岳人)

 菅原文太さんが2014年11月に81歳で亡くなってから、ちょうど5年が経った。映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズで知られ、出演した映画の数は250本以上。誰もが認める戦後の日本映画界を支えた名優だが、09年に山梨県北杜市で農園を開いて農家になることを宣言。2012年に俳優業からの引退を表明した。 

【写真特集】農園で作業する菅原文太さんと妻の文子さん

 だが、都市を離れた場所で農業をしていたからといって隠居生活を送っていたわけではない。若いスタッフを雇って無農薬農業の実践家として“土”の改良に取り組み、11年に東日本大震災が起きてからは「命」をテーマに積極的に発言した。ときには、国会議員を怒鳴りつけたこともあった。俳優を引退した後、文太さんがやろうとしたことは何だったのか。妻の文子さん(77)に話を聞いた。

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 今から約8年前のことだ。文太さんは、自民党の若手国会議員らとの食事の席に出ていた。話の流れで、当時、日本と中国の間で対立が激しくなっていた尖閣諸島問題に話題が移った。同席していた教育家の水谷修さんは、その時の様子をブログに記している。先に一人の議員がこう話した。

「法律を改正し、自衛隊を送り、武力をもってしても、中国船舶を追い返し、国土を守らなくてはいけない。これでは、日本の名誉が損なわれる」

 文太さんは、この発言に怒りをあらわにした。

「君が、行くのかね。もし、そこで、一発でも銃弾が飛べば、戦争が始まる。そして、自衛官のいのちが失われる。それでもいいのかね。君に聞きたい。君たち国会議員が、守るのは、国家の名誉なのか、それとも、国民一人ひとりのいのちなのか。君は、何もわかっていないようだ。私は、あの戦争を体験している。どんなことがあっても、二度と戦争はしてはいけない。名誉なんてものは、一度失っても取り戻すことは出来る。でも、いのちは一度失われたら二度と取り戻すことが出来ない」

 文太さんに叱責された国会議員は席を外して帰ってしまったという。文子さんも、この場に同席していた。


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戦いの不条理を描いた「仁義なき戦い」