24歳で農村に移住した渋谷女子の孤独と涙 奮闘する彼女を救った、ばあさんたちの「魔法の言葉」 (2/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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24歳で農村に移住した渋谷女子の孤独と涙 奮闘する彼女を救った、ばあさんたちの「魔法の言葉」

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西岡千史dot.

「人を良くする」と書いて「食」という漢字は成り立っている──。瀬戸山さんがこの頃に学んだ言葉だ。では、自分はどうすればいいのか。食に興味が出れば、おのずと農業にたどりつく。そんな時に、家庭菜園を持っているペンションがスタッフを募集していることを知り、3カ月間働くことになった。それが、片品村を訪れたきっかけだった。

「ちょっとした体験のつもりだったんですけど、毎日規則正しい生活と新鮮な野菜を食べてたら、3カ月で心もからだも良くなって『もっと続けたい』と思ったんです。そしたら片品で昔から作られてきた大白大豆を作っている豆腐屋さんがあって、そこで働くことになりました」
片品村の風景。右下はカヲルさん(撮影/高木あつ子)

片品村の風景。右下はカヲルさん(撮影/高木あつ子)

 村での生活は、何もかも新鮮だった。村の人はみんな親切にしてくれる。渋谷で客商売をやっていたから、愛嬌もあった。毎日、村の人が「今日はウチでご飯を食べていけ」と言って、夕食をごちそうになった。都会にはない暮らしだった。

 片品村の冬は厳しい。そのため当初は雪が積もる季節は横浜で過ごしていたが、村の人からこう言われた。「村で冬を越した後の春は、本当に素晴らしいよ」。この言葉で、村への移住を決心する。

「それで家を借りて冬を過ごしたんですけど、水道管が凍ってしまったんですよ。車も持ってないし、雪女みたいに冬道をいつも一人で歩いていました。そしたら、村の人が軽自動車をくれたんですよ(笑)。驚きですよね」

 厳しい自然と対峙しながら、少しずつ軸足を片品に移していった。ただ、すべてが順調だったわけではない。20代の若者に“村の現実”は甘くなかった。村の人たちは瀬戸山さんを歓迎してくれたが、やがて田舎の人間関係に悩むようになる。

 ある時、観光客向けの地域づくりのイベントがあり、瀬戸山さんも参加することになった。やり手の店長だった瀬戸山さんにとって、「どうやって人を集めるか」は得意分野である。積極的に発言をして、人の集め方や目玉となる商品の見せ方などについて提案を続けた。その行動が、周囲から浮くきっかけになってしまった。最後には、村の人からこう言われてしまった。「あなたは仲間じゃない」

 悔しかった。



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