ひょうたん桜(高知県仁淀川町)。冬の桜と対面するために、厳寒期の西日本を旅する。高知県に入ったとたんに雪空がひろがり間もなく牡丹雪が降ってきた。この土地は桜という地名■ペンタックス645・smcペンタックス645 75ミリF2.8・トライX
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ひょうたん桜(高知県仁淀川町)。冬の桜と対面するために、厳寒期の西日本を旅する。高知県に入ったとたんに雪空がひろがり間もなく牡丹雪が降ってきた。この土地は桜という地名■ペンタックス645・smcペンタックス645 75ミリF2.8・トライX

 桜には冬の花が咲く。風のない牡丹雪が降る日は、小枝の先まで雪片がとどまって、まるで花が咲いたように見える――。「アサヒカメラ」3月号の特集「桜と人の関係」から写真家・宮嶋康彦さんが写した「冬の桜」をお届けする。

【宮嶋康彦さんが写した、各地の美しい「冬の桜」はこちら(全5枚)】

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 桜とは何か、と問い詰めていくとき、花の時期以外の桜木に対面したいと思った。そこにはきっと、桜の本然を見ることになるだろう。期待は膨らんでいった。

 雪に埋もれた桜木は泰然として環境になじみ、ただ、時を刻んでいた。樹木として四季に順応し、冬は休眠しながら低温の季節になじんでいる。冬も夏も、淡々として人間とは異なる原理でそこに在る、それが桜木の本然だろう、冬の桜を撮り始めたころの思いであった。

南相馬からいわき市にかけて、冬の海岸の撮影をしているところへ雨に雪が混じり始めた。震災からの復興が遅れる海辺の町から三春へ移動。薄暮の里が雪に沈んでいった。福島県三春町■ペンタックス645・smcペンタックス64575ミリF2.8・トライX
南相馬からいわき市にかけて、冬の海岸の撮影をしているところへ雨に雪が混じり始めた。震災からの復興が遅れる海辺の町から三春へ移動。薄暮の里が雪に沈んでいった。福島県三春町■ペンタックス645・smcペンタックス64575ミリF2.8・トライX

■雪の花

 春の花の時期と大きな違いは花見の客がいないことである。枯れ枯れとして見える桜木を泊まりがけで見に来る人は稀だろう。三春の滝桜の満開の花の下で記念撮影に興じた人の脳裏に、風雪を受ける桜木は映らないかもしれない。

 冬の桜は枯れて生命が衰えたように見える、しかし、繊細な枝の先まで命がみなぎっていることは言うまでもない。細い枝の先まで桜の命が開花に備えている。二十数年も前のことだが、初めて雪の中の桜の樹皮に聴診器をあてたとき、聞こえてきた水流のような音に感激した。「今年、最初の雪の華―」と歌ったのは中島美嘉だった。そう、桜には冬の花が咲く。風のない牡丹雪が降る日は、小枝の先まで雪片がとどまって、まるで花が咲いたように見える。細い枝に留まった淡雪は、また雪の一片を載せて積もっていく。その様子をいつまでも眺めていると、小枝は雪の重たさに耐えかねて、元へ跳ね返り、雪の花は春の日向(ひなた)の落花の模様を見せる。静かに音もなく雪を払った後の小枝には、命としての蕾(つぼみ)が並んでいる。

 冬の名桜に観光の客はなかった。

 阿蘇の一心行の桜、高知のひょうたん桜、奈良の名桜、京都の常照皇寺の桜、兵庫の樽見の大桜、神奈川の長興山のしだれ桜、岐阜の荘川桜に淡墨桜(うすずみざくら)、新潟の中山間地の桜、福島の三春滝桜、長野の一本桜群、山形の置賜さくら回廊の桜群ほか、秋田の豪雪地帯の桜、花の時期には大勢の花見客で混雑する桜群だが、冬の観客はいつでも私一人であった。

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撮影は容易ではなかった