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“公開自殺会議”で遺族たちが「自殺はダメ」と言い切らなかった理由

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福井しほdot.
“公開自殺会議”を開いた左から岡映里さん、弓指寛治さん、末井昭さん

“公開自殺会議”を開いた左から岡映里さん、弓指寛治さん、末井昭さん

『自殺会議』。

 書店で目に飛び込んできた物騒なタイトルに思わず立ち止まる。ムンクの「叫び」のようなイラストが描かれた装丁は書名に反してどこかポップだが、内容は家族が死を選んだ“自死遺族”や、自殺の名所とも呼ばれる東尋坊で身を投げる前に立ち止まらせる“用心棒”など“自殺”に関わる10人と著者の末井昭さんが対話を重ねた対談本になっている。末井さん自身も子どものころ、隣家の男性と不倫に走った母親が、その相手とともにダイナマイトで心中した経験を持つ。

【写真】母親の死を受けて浮かんだモチーフ「死者の魂を持った鳥」を描いた作品など(全7枚)

 同書は発売後から反響を呼び、1月20日には、同書にも登場する作家の岡映里さんと画家の弓指寛治さんとともに、末井さんは東京・渋谷で『自殺会議』(朝日出版社)の刊行を記念したトークイベントを開催。客席がほぼ埋まるほどの人が集まり、3人の話に耳を傾けた。
会場となったLOFT9 Shibuyaには日曜日の昼間から大勢の人が詰めかけた

会場となったLOFT9 Shibuyaには日曜日の昼間から大勢の人が詰めかけた


 実は、岡さんと弓指さんも、母親が自ら命を絶っている。

「母が病院から飛び降りたと姉から電話を受けたのが2005年9月6日の朝でした」

 イベント冒頭のあいさつで、そう話したのは岡さんだ。新潮社の月刊誌『新潮45』(2018年10月号で休刊)の編集者として働いていたころ、徹夜で仕事を終え、自宅に帰って眠りにつこうと思った矢先に母親の訃報を知った。

「13年経って、母親が死んだことが大丈夫なときもあれば、そうじゃなくなるときもある。母が亡くなってから、ずっとその日の翌朝を生きているような気持ちです」(岡さん)

 弓指さんも同じような思いを抱えている。芸術学校で絵を学んでいた2015年10月23日、母親が自ら命を絶った。棺桶には手紙と「死者の魂を持った鳥」を描いた絵を入れた。その数カ月後、この鳥をモチーフにして描いた「挽歌」が学校の成果展で金賞を取り、画家としてのデビューを果たす。昨年には、1986年に18歳で命を絶ったアイドル・岡田有希子さんの死をモチーフにした作品「Oの慰霊」で第21回岡本太郎現代芸術賞の敏子賞を受賞するなど、「死」に向き合った作品を描いている。
成果展で金賞を受賞した「挽歌」(撮影/弓指寛治)

成果展で金賞を受賞した「挽歌」(撮影/弓指寛治)


「自殺の呪いみたいなものがあって、それから逃れることはできない。自分の中で、母親が死に続けている。その呪いを打ち返す手段として僕は芸術を選んだ」



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