こうした背景があり、「新福菜館」と「第一旭」は京都の最古参のラーメン店として今でも隣の場所で行列を作っている。どちらのお店も京都の近藤製麺の麺、五光醤油を使用しており、これが自ずと京都ラーメンのルーツになっていった。


「第一旭」と「新福菜館」は今も隣に並んでいる(筆者撮影)
「第一旭」と「新福菜館」は今も隣に並んでいる(筆者撮影)

 豚の味わいと濃い醤油の強いラーメンは地元客のみならず観光客の胃袋も掴み、京都ラーメンの人気はヒートアップした。朝5時から翌朝2時までというほぼ休みなしの営業時間もポイントで、通常のコアタイムのみならず、飲みの後や「朝ラーメン」で立ち寄るお客さんも多い。

 本店の途切れない行列に、満を持しての東京進出。すべてが順風満帆に思える「第一旭」だが、実は多店舗展開に失敗した過去を持っている。

 長らく本店のみでの営業を続けていた「第一旭」だが、その後、のれん分けで店舗を出したり、チェーン展開をしたりと多店舗経営を行っていた。愛知、岐阜、大阪など「第一旭」を冠するお店が各地に広がっていき、その数は直営・フランチャイズ(FC)を含めて100店舗以上にも上った。

昔の「本家 第一旭」の外観(第一旭提供)
昔の「本家 第一旭」の外観(第一旭提供)

 そのまま順調に広がっていくかと思われたが、あまりに急速に広げすぎたことで味のコントロールが難しくなり、不採算店が頻発。最終的に多店舗展開は失敗に終わり、本店のみを残す決断となった。今各地にいくつか残る「第一旭」はFC時代の名残で、すべて独立採算店である。

 多店舗経営の失敗もあり、「第一旭」は長らく京都に閉じたラーメン店として歴史を刻んできた。百貨店の催事やラーメンイベントへの出店、メディアへの露出も断り続けてきた。ただでさえ観光客が多く、近隣のお客さんがなかなか来店できずにいる。そこでさらに話題になると、行列などで問題に発展する可能性もある。それもあって、本店は今も取材拒否を貫いている。

 現在の森田孝士三代目社長になってからも、しばらく東京進出の話は出なかった。だが、2016年に転機が訪れる。知人に頼み込まれ、大分のラーメンイベント「おおいた駅前らーめん博2016」に出店することになった。「第一旭」としては初めてのラーメンイベントへの参加だった。

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”話半分”だった東京進出