離乳食もほとんど口にせず、幼児食になっても極端に偏食だった。家で口にするのはフライドポテトとうどん、唐揚げ、人参とブロッコリーだけ。手作りの野菜のポタージュやふりかけは好んで食べてくれることもあったが、何度も食事を床に投げ付けられ、泣き崩れたこともあった。

 子育ての専門家から「少し距離を取ってみたら」とアドバイスを受け、保育園に通わせてパートで働き始めたが2歳のころ。でも生活は好転しなかった。息子は夕方に迎えてから2時間は泣き続け、寝かしつけにも2時間かかり、夜中も2~3時間おきに起きて泣き叫んだ。これ以上何ができるのかわからず、臨床心理士に相談したのが3歳のころだった。

「とにかく、どうすれば彼に通じるように話ができるか、どうすれば生活をスムーズにできるかを知りたくて、『このままだと虐待してしまいそう。発達障害ではないですか?』と聞いたんです。でも専門家の間でもまだその言葉を知らない人もいる時期で、『愛情を注いでください』と言われました。絶望しました」

 専門家の"診断"は「愛情不足」。発達障害は否定されたのだからと、関連する情報を遮断し、みんなと同じことができるはずだと息子を責め、自分自身も責めた。親子ともにつらい時期だった。

加藤さんと長男。「この時期のことは、数年経った後に息子に謝りました。しんどいことは今もありますが、理解できることが増えています」と話す
加藤さんと長男。「この時期のことは、数年経った後に息子に謝りました。しんどいことは今もありますが、理解できることが増えています」と話す

 それを抜け出せたのは、理解してくれる人の存在があったからだ。小学校に入って、教師やスクールカウンセラーが理解してくれ、仕事で寝に帰るだけだった夫も転職し、子育てに協力してくれるようになった。小学1年の冬に改めてADHD(注意欠陥・多動性障害)とアスペルガーという診断を受け、夫婦でペアレント・トレーニングを受けた。そこで出会った親同士で話していると愚痴で終わらず、前向きな気持になれた。

 友人づてで、子育てに困っている地域の人の相談を受けたことをきっかけに、困っている人もはもっといるかもしれないとフェイスブックで「発達障害の子を持つ親の会」、地域で「道しるべの会」を立ち上げた。

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大人の偏見が子どもの差別生む