渋谷駅の東口ターミナル。写真奥には建設途中の首都高速3号渋谷線の高架橋が見える(撮影/諸河久:1963年8月25日)
渋谷駅の東口ターミナル。写真奥には建設途中の首都高速3号渋谷線の高架橋が見える(撮影/諸河久:1963年8月25日)

 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、現在再開発が進む渋谷駅。駅周辺の建設ラッシュのビルには巨大IT企業が入居を予定するなど、街全体が変貌しつつある。そのきっかけともいえる1964年東京五輪関連工事ラッシュの渋谷駅前が、今回の写真だ。

【いまはどれだけ変わった? 現在の渋谷駅周辺の写真はこちら】

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 現在の渋谷駅はJR山手線・埼京線・湘南新宿ライン、東京メトロ銀座線・半蔵門線・副都心線、東急田園都市線・東横線、京王井の頭線の9線が集うメガターミナルだ。だが、各線の乗り入れなどで再開発が続き、いつしか渋谷駅は「ダンジョン」「巨大迷宮」などと例えられるほど、駅構内や付近は複雑になっている。

 1960年代の渋谷駅は、平地には都電とトロリーバス、高架の二階からは山手線、東横線、玉川線、井の頭線、三階からは銀座線が発着する鉄道ファンでなくとも、興味津々のターミナルだった。現在は平地から都電とトロバスが消え、二階に位置した東横線は2013年3月から東口側の地下に移設され、原宿方から建設を進めてきた副都心線と繋がった。東横線渋谷駅の跡地には大型複合施設「渋谷ストリーム」が竣工し、今年9月にオープン。賑わいを見せている。

 いっぽう、半蔵門線と結ぶ田園都市線は、渋谷を代表する宮益坂と道玄坂に並行する地下に敷設されている。山手貨物線を利用した埼京線と湘南新宿ラインの渋谷駅は、山手線の渋谷駅から数百メートル恵比寿寄りに離れているが、2020年を目指して山手線のホームと並行させ、利便を図る計画だ。

 三階に位置する東京メトロ銀座線も、現在の終点からプラットホームを副都心線の真上に位置する表参道方に移転し、他の地下鉄線との乗換えを容易にする工事が進捗している。

 その工事の“走り”ともいうべき時代が、今回の一コマに写し出されている。

 写真は、渋谷駅前の北側から乗客で賑わうターミナル風景を狙った。背景は、1964年東京五輪を目指して建設中の「首都高速3号渋谷線」の高架橋。ちなみに同線は五輪開会式の10日前、1964年10月1日に暫定部分開通しており、世界初の高速鉄道「東海道新幹線」の開通もこの日だった。この写真の約1年後には開通しているので、いかに急ピッチで作られたものかがうかがえる。

 画面の左手前奥には近年「渋谷ヒカリエ」に建て替えられた「東急文化会館」があった。1階には映画館「パンテオン」や東急名画座などが入っており、同館の都電ターミナル側の壁面には上映されている映画の大看板が飾られていた。友人の記憶では、地下1階には入場料10円でニュース映画だけを上映している「東急ジャーナル」があって、いつも混んでいたようだった。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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渋谷駅前発着34系統の前身は「玉電」