現在の新大橋。1977年に竣工した。耐震性などが考慮され、洗練されているかもしれないが、以前の橋に思い入れがある人も多いだろう(撮影・井上和典/AERAdot.編集部)
現在の新大橋。1977年に竣工した。耐震性などが考慮され、洗練されているかもしれないが、以前の橋に思い入れがある人も多いだろう(撮影・井上和典/AERAdot.編集部)

 関東大震災や戦災にも耐えた質実剛健の「新大橋」は、1971年3月に都電路線が廃止されたあとも健在だった。その佇まいは、隅田川にかかる橋のなかでも「レジェンド」の存在だが、橋の老朽化、道路拡幅、隅田川護岸のかさ上げなどの懸案で架け替え計画が始まり、1977年3月27日に現在の「新大橋」に生まれ変わった。旧「新大橋」は明治の歴史的遺産として、愛知県犬山市の「明治村」に日本橋方の25m分が展示保存されている。当時の写真にある「志んおほはし」は深川方の橋銘板で、日本橋浜町方の橋銘板は「新大橋」の漢字標記であった。全幅2.74メートル、全高1.35メートルとかなり大きなものだが、日本橋側の橋銘板が「中央区立郷土天文館」(中央区明石町)に保管されている。

 いまの橋は残念ながら親しみがわかない。その機能的な風貌に冷徹さすら覚えるが、明治から昭和にかけて人と都電の架け橋となっていた新大橋は、明治人の心意気を感じる、美しい存在だった。

■撮影:1965年8月17日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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