ダビド・シルバ(写真:なかしまだいすけ/アフロ)
ダビド・シルバ(写真:なかしまだいすけ/アフロ)

 今年3月に開催された野球世界一を決めるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、日系人のラーズ・ヌートバーの活躍が大きな話題となった。代表資格の大会規定が「両親のどちらかが当該国の国籍を保有、もしくは当該国で出生」(他にも規定あり)だったからであるが、例えばラグビーの場合はその範囲が「両親」から「祖父母」まで拡大し、「60カ月以上の継続居住」でも代表入りが可能となる。現状、サッカーの場合は「国籍保有」が必須条件になるが、仮にその条件が緩和されていたならば日本代表でのプレー可能となる日系人選手は多くいる。

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 古くは、アレシャンドレ・カネコという伝説の選手がいた。1946年にリオデジャネイロで生まれた日系3世で、20歳で名門サントスとプロ契約。当時のサントスは“王様”ペレを筆頭に多くのブラジル代表選手が在籍していた黄金期。そのドリームチームの一員になると、デビュー1年目の試合で衝撃的なプレーを披露。右サイドの深い位置でDFと対峙すると、両足でボールを挟んで頭上を越して抜き去って味方のゴールをアシストした。

「ヒールリフト」の発明者とされ、その技に当時は「カネコ」という名称を付けられて大きな話題となった。その後、日本ではカネコと同世代の日系2世のネルソン吉村や与那城ジョージが日本への帰化から日本代表デビューの道のりを歩んだが、「帰化不要」の条件ならば、そこにカネコも加わって魅惑の攻撃ユニットが誕生し、日本代表のピッチで「ヒールリフト」を見ることができたかもしれない。

 一時期、Jリーグ移籍、さらに日本代表入りが噂されたのが、日系3世のブラジル人、ロドリゴ・タバタだ。1980年11月19日生まれ。日系2世の父とポルトガル系の母を両親に持ち、豊富な運動量に鋭いパスとドリブル、優れた得点力を持つ攻撃的MFとして活躍。2006年に加入したサントスでは背番号10を背負い、3年間で通算154試合に出場して42得点を記録。精度の高いFKも大きな武器で、現在はカタールの強豪アル・サッドに所属している。

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欧州強豪国の代表にも選ばれた日系人は?