撮影:宛超凡
撮影:宛超凡

 大学卒業と同時に来日し、明治大学大学院で政治学を学んだ。

「写真を撮り始めたころから森山大道さんの作品が大好きで、とても影響を受けました。森山さんはエッセイに、引っ越したら必ずその周辺を歩いたり電車に乗ったりして撮る、と書いていた。なので、明治大学に入ったとき、自分も森山さんと同じように、線路沿いの風景を全部歩いて撮ろうと考えた。そうすれば東京がわかると思った」

 最寄り駅のある西武新宿線沿線を撮り終えると、今度は「自然にもともとある『線路』を撮ろうと思った」。それが川だった。

■撮影を支えた奨学金

 明治大学では写真はまったくの趣味だったが、東京藝術大学に進学すると写真を研究テーマに据えた。

「博士課程の作品ですから、東京を見る、という目的をきちんと考えました。隅田川は東京の母なる川ですが、荒川の支流なので、本流を撮ったほうがもっとわかるなと思い、荒川を選びました。名前もかっこいい。ワイルドリバー。これが荒川を選んだもう一つの理由です。もともとは暴れ川だったので、人間の力によってかなりコントロールされている。私が興味のあるテーマに一番近いと思った」

撮影:宛超凡
撮影:宛超凡

 宛さんは荒川を撮るのにどんなカメラがふさわしいのか、考えた。そして選んだのが横長の画面を持つ古いフィルムカメラ、フジ パノラマG617だった。

「友だちのお父さんがカメラのコレクターで、GX617を貸してくれました。でなかったらこのカメラの存在も知らなかったし、このフォーマットで撮ることもなかったと思います」

 画面が横長なので、フィルム1本でたった4カットしか撮れない。

「フィルムの値段が高いので、自分のルールとして、1回の撮影で25本しか持っていきません。撮りたいものが少ないときは10数本の撮影ですが、持っていったフィルムをすべて使うことが多かったです」

 これまでに1000本以上のフィルムを費やした。その撮影を奨学金が支えた。

「返済の必要のない奨学金を支給していただいたサンリオには大変お世話になりました。2年間、毎月15万円。これがなかったら撮れなかったと思います」

■折り畳み式自転車を活用

 荒川の上流部を訪れ、撮影を始めたのは17年夏だった。それから毎月、荒川を訪れた。

 川の水の色は場所や天気によって大きく変化する。上流部の水は美しいエメラルドグリーンだが、台風が通過すると流れ込んだ土砂で泥の色になる。

「最初はそれまでと同様にモノクロで撮影していました。でも、モノクロだと水や森、建物の色などがわからない。なので、翌年からカラーの撮影に切り替えました。モノクロで撮影した場所も全部撮り直した。この作品は記録性が大切ですから」

次のページ
削り取られた神の山