■画期的だった「保護者目線」の改革

 最後に、田村氏の学校経営の特徴として「保護者目線」を強調しておきたい。「文句、批判は宝」と教師たちに説き、地域ごとに保護者と意見交換する「地区懇談会」を渋幕で始めたのは30年近く前。公民館などで開かれた懇談会の会場を週末、田村氏がほぼ一人で回ったのは、「他の教師と違って校長は成績をつけないから親の本音を聞きやすい」と考えたためだ。要望を受けたら教師に状況を確認し、誤解があれば親に学校の方針を丁寧に説明する。実際に、保護者の声を受けて英語の授業内容を見直したケースもあったそうだ。

 このほか、全国の高校に先駆けて米国型のシラバス(授業計画)を導入し、授業を保護者に公開する機会も設けて感想を募った。こうした取り組みは今でこそ多くの公私立校で行われているが、「渋谷教育学園が始めたのは画期的で、多くの私立校に影響を与えた」と大手進学塾の幹部は指摘する。田村氏が民間企業で培ったバランス感覚を生かした面もあるだろうが、何よりも保護者や生徒の信頼と協力を得て、よりよい学校をつくっていこうという柔軟な姿勢は一貫している。だからこそ、従来の閉鎖的な学校に不満を抱いていた親たちの幅広い支持が得られたのだろう。

 田村氏は今も学園の理事長を続けているが、2022年度から両校の校長を退き、学園長という立場になった。渋幕は長男の田村聡明氏、渋渋は長女の高際伊都子氏が校長に就き、実務は次世代にバトンタッチされた形だ。23年度の入試結果をみると、東大合格者は渋幕が74人。渋渋は40人だが、1学年の生徒数が約200人と比較的小規模なことを踏まえると、全国的にも高い合格率だ。両校は米国のアイビーリーグなど海外の名門大学にも合格者を出しており、東大を蹴って海外の大学に進むという選択も相次ぐ。こうした「超進学校」化の流れはさらに加速していく可能性がある。

 さらに、87歳の「カリスマ」である田村氏は今も、日本の教育の現状にインパクトを与える新しい挑戦を考えている節がある――と筆者はにらんでいる。決まったルートで目的地に連れていく公立校の教育を「定期航路型」、生徒の自主性を重んじる私学の教育を「大航海型」と表現した田村氏が、次はどんな海原に乗り出すのか。これからも目が離せない。

◎古沢由紀子(ふるさわ・ゆきこ)

読売新聞東京本社編集委員 教育関連の解説記事を主に執筆。中央教育審議会委員などを務める。著書に「大学サバイバル」(集英社新書)、共著に「伝説の校長講話 渋幕・渋渋は何を大切にしているのか」(中央公論新社)、「志村ふくみ 染めと織り」(求龍堂)など。