田村哲夫理事長。海外の大学への進学者などからは記念のペナントが贈られた
田村哲夫理事長。海外の大学への進学者などからは記念のペナントが贈られた

 進学塾などによると、渋谷教育学園を志望する子の保護者はグローバルな感覚を身につけさせたいという意識が強く、渋渋でその傾向はより顕著だという。特に中学受験に関心を持つ父親が、各校の教育内容を比較検討し、大学卒業後も見据えて社会の変化に対応できる先進性や国際性を重視するケースが多いようだ。

■「空白地帯」に切り込んだ女子校の共学化

 1996年に渋渋が中高一貫の共学校になってから、短期間で人気を高めたのはなぜか。まず、首都圏の私立校は男女別学が主流で、大学付属以外の共学校、特に進学校が少なかったこと、先行して千葉県に開校した渋幕が進学実績と知名度を伸ばしていたことなどが挙げられる。その影響で当初は渋渋にも千葉県からの出願が多かったが、今は都内や神奈川県の生徒が圧倒的に多い。

 渋谷女子高の共学化を検討していたころ、田村氏は「果たして多くの男子が受けてくれるか」という懸念を抱いていたという。抜群の立地は狭い校地と裏表でもあり、広いグラウンドなどがないためだ。私学経営の先輩たちからは「進学指導がしやすいのは別学が常識。男子は競わせ、女子は協力しあうことで意欲を高めればよい」とアドバイスも受けていた。しかし、自らも男子校の麻布中高出身である田村氏は「これからは男女共同参画の時代。必ず保護者のニーズはある」と共学化を決断した。生徒や保護者の視点に立った判断が的確だったのは明らかだが、私立共学進学校の「空白地帯」に切り込んだマーケティングを思わせる視点は、「公立王国」と言われた千葉県での渋幕開設と重なるものがある。

 東京は戦前から女子の実業系私立校が多く、戦後は高校進学率が上昇する中、急増する生徒を受け入れてきた。それが1990年代に入ると少子化を受けて中学校の併設が相次いだ。田村氏が進めた渋渋の共学化は限られた敷地を有効に生かす校舎の高層化とエレベーターの活用、地下を利用した体育施設の確保などのアイデアも伴い、都内の多くの女子校が共学化に踏み切るモデル的な先進事例になったのだ。

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