事故の前はにぎわっていた街は閑散としていた
事故の前はにぎわっていた街は閑散としていた

 アジア各国を中心に、注目を集めた事件や事故などの現場を改めて見る旅に出た。最初は韓国ソウルの中心街、梨泰院。あの事故後、街はどのように変わったのか。

【動画】事故後の街を旅行作家の下川裕治が歩いた(後編)

(*前編「158人の命の重さがずっしりと壁に 梨泰院の現場を歩いた旅行作家の下川裕治「言葉が出ない……」から続く)

 ソウルを代表する繁華街・梨泰院は、新型コロナウイルスに呪われたような街だった。

 感染が広まりはじめた2020年5月。梨泰院のクラブで起きた集団感染は韓国だけでなく、日本でも報道された。その後の感染拡大のなかで、韓国政府は集合禁止命令を出す。皆で集まって騒ぐタイプの店が多い梨泰院は、その対象になる店が多かった。多くの店が廃業に追い込まれていく。

 韓国政府は集合禁止命令が生む損失補償を行ったが、その額は規模の大きな店でも1千万ウォン(約103万円)ほどで家賃の高い梨泰院では十分な補償ではなかったようだ。梨泰院は芸能人が経営する店が多いことでも知られる。

 ホン・ソクチョンさんは一世を風靡(ふうび)したタレントだった。その後、レストラン経営者に転身。梨泰院のハミルトンホテル周辺を中心にイタリア料理店、アジアンレストラン、パブ、カフェなど数店を開き、「梨泰院財閥」「梨泰院地主」といわれるほどの成功を収めた。ドラマ「梨泰院クラス」を地でいくような存在だった。その彼も全店の廃業を公表。大きな話題になった。

 しかしいまもハミルトンホテルで小さなパブを経営するKさん(46)はこういう。

「廃業できたのは恵まれた人です。実際は借入金、猶予してもらっている賃貸料、撤去費用が払えず、廃業もできない店が多いはずです」

 なかには10億ウォン、つまり1億円を超える借入額を抱える店もあるという。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権から尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権に変わり、韓国のコロナ対策は大きく変わる。昨年4月からは飲食店への規制も撤廃の方向に向かい。それを受けた梨泰院の弾けぶりはかなりのものだった。コロナ対策で押さえつけられていた思いを梨泰院で晴らすかのように。

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下川裕治

下川裕治

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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「ハロウィーン以来、ばったり客足が途絶えました」