(C)Seiichi Nomura
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 野村誠一さんの写真を目にしたことがない人はまずいないだろう。これまで50年ちかく雑誌やテレビ、広告などの仕事で活躍してきた。撮影した著名人は枚挙にいとまがない。

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写真集なんて、400冊以上やらせてもらって、週刊誌の表紙はもう何千と撮ってきた」と、野村さんは語る。

 特に有名なのが、女優や歌手、アイドルの撮影だ。宮沢りえ、南野陽子、西田ひかる、石田ゆり子、中森明菜斉藤由貴、矢田亜希子、ピンクレディー……。

 そんな野村さんが女性誌でデビューしたのは1976年。講談社の月刊誌「若い女性」での経験が「今の自分を全部支えている」と言う。

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■帰国すると仕事がなくなった

 野村さんは71年に東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)を卒業後、住宅専門の広告代理店勤務をへて、フリーとなった。

「当時、インテリアを撮ったらワンカット3万円くらいもらえてね。こんないい仕事はないな、と思った」

 76年夏、野村さんは欧州を旅した。25歳だった。

「ヨーロッパの美しさに圧倒された。とにかく色が豊富でね。色彩の感覚って大事だな、という気持ちがそこから芽生えた」

 ところが、帰国すると、クライアントから、こう言われた。

「1カ月も空けて、もうお前の仕事はない、と。他の人に頼んでいるから、お前は要らないんだ、と言われた。野村でなければできない仕事をしなければ簡単に他の人に代わられてしまうんだ、ということをすごく感じた。もともと自分は女性を撮りたい、という気持ちが強かったから、やっぱりそれをやりたいと思った」

 これを期に住宅の撮影をやめた理由はもう一つある。「やっていて、むなしくなるんですよ」。

「当時は高度成長の時代で、別荘がめちゃくちゃ売れていた。ところが、粗製乱造の違法建築がテレビですごく騒がれていた。実際、そういう住宅を別荘地でさんざん見てきたから、絶対に人を幸せを売る仕事じゃないなと思った」

 そう思いつつも、ずるずると住宅の撮影を続けてきたのは「結局、稼げちゃうから」。写真を始めたころの生活が思い浮かんだ。

「もう本当に貧乏だった。東京・初台の3畳1間の生活で、明日の100円がなくてね。フィルムを1本でも買いたくて、お風呂に行くのも節約して、外の流しで体を洗った」

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「これは、すげえな」