阪神・浜中治
阪神・浜中治

 これまでのプロ野球の歴史で数多くの強力打線が存在したが、最も強烈な印象を残した打線と言えば1985年の阪神ではないだろうか。打率.350、54本塁打、134打点で三冠王に輝いたバースを筆頭に掛布雅之(打率.300、40本塁打、108打点)、岡田彰布(打率.342、35本塁打、101打点)とクリーンアップが揃って3割、30本、100打点をクリア。チーム得点数731は2位以下を100点以上引き離すダントツの数字であり、4月17日の巨人戦で記録したバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発はいまだに伝説として語り継がれている。

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 しかし翌年以降は掛布が怪我で大きく成績を落とし、バースが1988年シーズン途中で退団するとチームは長く低迷。2000年代に2度のリーグ優勝を果たし、その後も度々優勝争いを演じているものの、1985年のようにホームランで打ち勝つ野球は見られていない。特に1992年シーズンから本拠地である甲子園球場のラッキーゾーンが撤廃されて以降、ホームランを量産している選手は少ない印象を受けるが、そんな中でも数少ない和製大砲としてはどんな選手がいたのだろうか。

 ラッキーゾーン撤廃後にまず長打力を発揮した生え抜き選手と言えば現在日本ハムで監督を務めている新庄剛志になるだろう。1989年にドラフト5位で入団していることからも分かるようにプロ入り時点での評価は決して高くはなかったが、抜群の守備力を生かして3年目の1992年にレギュラーに定着。翌1993年にはオマリーと並ぶチームトップの23本塁打を放つと、調子の波は大きかったものの2000年には打率.278、28本塁打、85打点と4番として十分な成績を残している。

 外野手として歴代3位タイとなる10回ものゴールデングラブ賞を受賞していることもあってどうしても守備のイメージが強いが、2004年に日本ハムでNPB復帰を果たした時にも広い札幌ドームを本拠地としながら24本塁打を放っていることを考えるとその長打力もかなりのものがあったことは間違いない。2001年からメジャーにわたることなく、そのまま阪神でプレーしていればシーズン30本塁打の可能性も十分にあったはずだ。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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新庄剛志とともに低迷期の阪神を支えた和製大砲は?