小笠原文雄医師。日本在宅ホスピス協会会長や岐阜大学医学部客員教授なども務め、在宅看取りについての著書もある(撮影/写真映像部・加藤夏子)
小笠原文雄医師。日本在宅ホスピス協会会長や岐阜大学医学部客員教授なども務め、在宅看取りについての著書もある(撮影/写真映像部・加藤夏子)

 小笠原文雄医師は、在宅看取りの第一人者だ。同医師のもとでは、末期がんの多くの患者が、最期まで自宅で穏やかに暮らす。週刊朝日ムック『医者と医学部がわかる 2023』では、なぜ開業医として在宅医療の道を選んだのか、小笠原医師にお話をうかがいました。

【写真】離れた家族が体調を確認できる小笠原医師独自のスマホアプリはこちら

*  * *

 大学受験当初は京都大学の数学科を目指していたが、受験直前に父が体調を崩し、在学中に実家の寺院を継ぐ可能性が出てきた。僧侶と医師を両立する知人のアドバイスもあって、岐阜県の自宅から通える名古屋大学の医学部を選んだ。麻雀や部活動に熱中した学生時代を、「出来の悪い医学生だった」と笑いながら振り返る。

「卒業して勤めた市民病院では、『血尿が出ないやつはサボっている』と言われるほどの激務でした。必死で目の前の患者さんを診る日々で、受験生時代よりもはるかに勉強していました」

 だが目を悪くしたことをきっかけに、40代で自院を開業することに。それは当時の小笠原医師にとって「敗北」だったと言う。

「高度先端研究を行う名大病院を離れるのは『負け』だと思っていました。在宅診療だって、最初はやりたくなかったんですよ」

 背中を押したのは妻だった。在宅医療を必要とする患者の存在を説かれ、小笠原医師は「そんなもんかなあ」と、看護師と共に患者宅の訪問を始めた。

 同医師が病院で直面したもうひとつの「敗北」は、「死」だった。

「病院の目標は患者を健康にすること。死という結果は、その目標が果たせなかったことになると感じていました」

 だが在宅診療を始めた小笠原医師が目にしたのは、敗北であるはずの死を自然に受け入れ、笑って生きて亡くなる患者の姿だった。

「ありえない、なぜなんだと強く思いました」

 やがて小笠原医師は「退院して家に帰るから笑顔になれるのだ」と気がついた。慣れ親しんだ自宅で、家族や近所の人と共に過ごし、好きな時間に好きなことをする。その人らしく暮らすことが余命宣告さえ覆し、その期間を年単位で超える例も少なくないという。

次のページ
笑顔で納得できる死を