天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)

 昨年9月に「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、現在も入院してリハビリを続けている天龍源一郎さん。今回は入院先から主治医の許可をもらいながら、平成という時代を振り返ってもらいました。

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 前回は昭和で、今回は平成を振り返ってみよう。まず、平成になって印象的なレスラーは藤田和之。あいつはいい度胸をしていると思ったよ。藤田が出てきたのはプロレス人気が下降して、総合格闘技隆盛の時代。プロレスと総合格闘技を並行してやるなんてなかなかできないし、こいつは大したもんだと感心した。

プロレスはアントニオ猪木さんだったら卍固め、天龍だったらパワーボムみたいに見せ場を作ることができるけど、総合格闘技はそうはいかないだろう。そもそも負けたら嫌だろうし、格好悪い試合は出来ないというネガティブな思いも含めて、あのリングに上がっていたのは見事だ。藤田はPRIDEから声がかかって水を得た魚だったもんね。俺が新日本プロレスに参戦していた当時、彼はプロレスがあまり好きそうじゃなかったからなぁ。

 平成で印象的な選手は藤田くらいしか思いつかないが、平成という時代について、声を大にして言いたいのは、あの当時(平成2年)プロレス界に参入したメガネスーパーという会社はすごいということだ。社長の田中八郎氏がプロレスを野球界のようにしたいという意思のもとにSWSという団体を立ち上げた。団体自体は2年ほどで潰れてしまったが、当時は俺を筆頭に、SWSにピックアップされた選手はみんな誇りを持って戦っていた。

 昭和のプロレス界の選手はみんな親分、子分の関係だったが、メガネスーパーが参入してからその関係性も変わったと思うし、なによりみんなの給料がベースアップしたよね。それはSWSの選手だけではない。全日本プロレスも新日本プロレスも、SWSの気風がいいもんだから、負けちゃいけないって所属選手の給料を一気に上げたんだ。それまでは会社がいくら儲かっても選手はほとんど潤わなかったが、SWS発足後は頑張ったヤツのファイトマネーが上がるという、わかりやすい仕組みになった。「やればできるじゃねえか」と選手はみんな思ったよね。

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天龍源一郎

天龍源一郎

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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平成のプロレスはSWSが転機