銀閣寺。日野富子の夫・足利義政が“家出”をして別居した先が、「銀閣」だった(画像=朝日新聞社)
銀閣寺。日野富子の夫・足利義政が“家出”をして別居した先が、「銀閣」だった(画像=朝日新聞社)

 2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の重要人物であった北条政子や、豊臣秀吉の妻・おね、室町期の日野富子など、日本の歴史を動かした魅力的な女性を題材に、数々の傑作歴史小説を描いてきた永井路子さん。古代から幕末まで、日本史上で知られた女性33人の激動の生涯と知られざる素顔とは? 朝日文庫『歴史をさわがせた女たち 日本篇』から一部を抜粋・再編集して公開します。

 日本の歴史の中には、男性に伍して、いや、大部分の男性に先がけて新しい「富」に目をつけた女性がある。時の将軍足利義政夫人、日野富子――名前からして、マネービル夫人にふさわしいではないか。

 彼女の活躍したのは今から五百年ほど前の室町時代――このころ、財産といえばまず「土地」であった。大名たちが何はさておき、領地の奪いあいに目の色をかえたのはこのためだ。オカネは通用していたが、まだ富としては第二軍だった。

 富子はそのオカネに目をつけ、将軍夫人の地位を利用して、オカネをかきあつめ、高利貸しをはじめた。このあくどさがたたって、富子の評判は史上すこぶるかんばしくないが、私は、女ながらもオカネという当時としては、新しい「富」に目をつけたパイオニア精神は、多少みとめてやってもいいと思う。

 しかも、かくも富への執念を燃やしつづけた裏にひそむ「家庭の事情」の複雑さを思えば、彼女もまた、悲しきスーパーレディーのひとりなのである。

 彼女とて、生まれながらの守銭奴ではない。実家の日野家は当時の公家の名門で、彼女は十六の年にえらばれて将軍義政の正室になった。日野家と将軍家との結婚はしばしば行なわれていたから、これは彼女にとってはごく当然のコースであった。

 が、このときすでに夫の義政には数人の側室があった。これも当時としては驚くにあたらないことであったが、ともあれ、十六の花嫁は、結婚早々から「女の戦い」を覚悟しなければならなかった。

 中でも強力なライバルはお今とよばれた女性だった。彼女は義政に乳母として仕えるうちに彼に性の手ほどきをしてしまったしたたか者で、かわいい坊やであり殿様である義政に対して絶大な権力をもっていた。

 足利義政の正夫人富子と側室お今の勝負のきっかけになったのは、富子の妊娠である。ときに富子二十歳。ところが月みちて生まれた子供はまもなく死んでしまう。

 と、そのときである。

「お今さまが御子を祈り殺したらしい」

 ぶきみなうわさの流れはじめたのは……。

 さすがに義政は激怒した。

「もうそなたの顔、見とうもない」

次のページ