天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)

 9月に「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、今は入院してリハビリ中だ。この連載も少し休んでいたが、頭は元気なのに、思うに任せぬ自分のからだにずっともどかしい気持ちでいるよ。

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ただ、俺が入院している間、9月に妻のまき代が綴った『天龍源一郎の女房』(ワニブックス)、11月に俺がこれまでに戦った強敵との思い出を振り返る『俺が戦った 真に強かった男』(青春出版社)という2冊の書籍も発売されたから、読んでくれている人もいるんじゃないか!? どちらも“プロレスラー・天龍源一郎”の歴史と魅力がたっぷり詰まっている本になったと自惚れている(笑)。

 俺は今、試合会場には行けないけど、天龍プロジェクトでは代表で娘の紋奈が先頭に立って大会を開催している。なかなか会場に行けないのが歯がゆいが、出場しているレスラーは俺が見ていなくても、お客さんを満足させる試合をしてくれていると信じている!

 俺は若い頃は相撲で部屋の揉め事とか、いろんなことがあってプロレスに転向したから、勝敗よりも、お客さんに満足して帰ってほしい。そんな、他のレスラーたちとは違う感覚が芽生えたんだよね。

 もちろん、相撲を幕内でやめてきたから「プロレスでへこたれるもんか、トップになってやる」という思いもあったけど、それよりもお客さんに「面白かった!」という気持ちを持ってかえってほしいという意地があったんだ。

 そんな気持ちは紋奈にもしっかり遺伝したようで、10月9日には天龍プロジェクト再始動後初となる後楽園大会を開催した。勝手ながら、ここまで俺を支え、WARや天龍プロジェクトでも関わってきてくれた選手や関係者を集めて、女房のまき代の追悼的な興行もやったんだ。

 俺自身が不在の中、新日本プロレスの石井智宏や、レッドシューズ海野、ウルティモ・ドラゴン、ドン・フジイ、望月成晃たち懐かしいメンツに天プロらしいはちゃめちゃなラインナップで、寄せ集めだけど「天龍プロジェクトここにあり!」を見せつけてくれたなと自負しているよ。

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天龍源一郎

天龍源一郎

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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