1位へのこだわりといえば、68年の西鉄1位・東尾修(箕島)も“最高の評価”へのプライドを持っていた一人だ。

 秋の近畿大会で2試合連続ノーヒットノーランを達成し、センバツでも4強入りの原動力になった本格派右腕に、ほとんどの球団が獲得に動くなかで、唯一挨拶に来なかった西鉄が最後の12番くじで1位指名。当然のように周囲は「九州は遠い」と進学を勧め、交渉は難航が予想されたが、意外にも東尾は入団をOKした。

 その理由は「早い話が俺のプライドを保ってくれたからだね。九州の田舎チーム、西鉄のことは何も知らなかったけど、プロはプロだろう。そのプロがオレを1位で指名してくれた。1位で指名されたからですよ。あれが2位だったら入団してなかったね」(「江川になれなかった男たち」岡邦之著 三一書房)というものだった。

 後の通算251勝投手は、18歳のころから一本芯が通った男だった。

 近年では、上位指名でなければプロ入りしないという“順位縛り”も目につくようになった。

 プロ志望でありながら、「もっと実力をつけてから」と進学や社会人入りを内定させた選手が、その後、大活躍し、プロからも“金の卵”として注目されるようになったケースなどで起き得る現象だ。

 プロには行きたいが、早い段階で自分を受け入れてくれた大学や社会人チームにも義理がある。

 そこで、ドラフト上位指名ならプロ、そうでない場合は、当初の約束どおり進学、または社会人入りという条件で、プロ志望届を出すというもの。

 15年のドラフトでは、夏の甲子園大会後に侍ジャパン高校日本代表に選ばれ、U-18杯で首位打者と打点王の二冠に輝いた東海大菅生の投打二刀流・勝俣翔貴が「2位以上ならプロ。3位以下なら国際武道大進学」と表明したが、指名する球団はなかった。

 3位以下で強行指名した場合、大学側との関係が悪化することを配慮した結果といわれる。

「大学ナンバーワン打者になって、4年後にプロに行く」と誓った勝俣は、19年のドラフトでオリックスに5位指名され、今季は巨人でプレーしている。

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「4位以下の指名だったら…」