タイミング法のプレッシャーを緩和させる目的で、シリンジ法も何度か試した。「ここは感情抜きにして、割り切ろう」と二人で話したが、妻と別の部屋でマスターベーションをし、精液をカップに入れて届ける時、妻の表情はどこか複雑そうにも見えた。

 妻のことは愛しているが、どうしても同じ屋根の下で日々を過ごす中で、家族という感覚が強まってくることは致し方ない事実だ。交際時や新婚当初の頃とは、性的な欲求も薄まっていることは夫婦ともに感じていた。だが、子どもを持ちたいなら、そしてなるべく“自然に”授かりたいなら、そんなことは言っていられない……。

「自分のせいで妻を傷つけているかも」「どうしたら良いのか」と悩む日々が続いた。プライベートも職場も含め、自分の周りにいる男性から、不妊治療に臨んでいるという声は聞いたことがなかった。 

 自分の中で、不妊治療はどこか、女性側に何らかの問題があるものと感じていた。男性側に問題があって治療をするという話は、耳にしたことがなかったのだ。「途中でできなくなる」なんていうことが、治療の対象になるのかも分からないし、何より恥ずかしくて情けなくて、口が裂けても言えないと思った。

 それだけに、友人や親はおろか、妻にも本音では相談できず、一人で悶々と悩む日々。子を持つ男友達と会うと、「こいつは、奥さんを“お母さん”にさせてあげられたのに、俺は……」と、ブルーな気持ちに拍車がかかる。自分の父親に対してすら、自分にできないことを達成しているように見え、“男”として自分より優位に立っているように感じた。

「何か頼りになる情報を」とネットを見るも、溢れかえる“セックスレス”というワードの一言で片付けられる問題でもなければ、不妊治療という言葉もどこか遠い存在に思えた。その狭間で揺れる思いを、どこに持っていけば良いのか分からなかった。

 だから妻が医師の言葉に対して「人工授精に進みたい」と言った時、どこか救われたのも事実だ。ところが人工授精を6回繰り返しても妊娠しない。病院にはなるべく付き添って行きたい思いはあるが、仕事を考えるとなかなか難しく、妻一人で病院に通う日々が続いた。

次のページ
「自分は何もできない」ともどかしく