藤森さんらが霊感商法を追及した「朝日ジャーナル」の記事(1986年12月)
藤森さんらが霊感商法を追及した「朝日ジャーナル」の記事(1986年12月)

 さらに藤森さんは、「これは推測ですが」と、前置きしたうえで、こう語った。

「まだ教団と山上容疑者との関係が確定していないにもかかわらず旧統一教会の名前を出すことで、彼らから抗議されることを恐れたのでしょう」

 報道機関が抗議を受けるのは日常茶飯事である。ある意味、抗議慣れしているメディアが、なぜなのか?

「かつて、旧統一教会について批判的な記事を書いて、表立って抗議されたことはたくさんありました。それでも言うことを聞かないと、教団は『裏の手』も大変熱心に使う。旧統一教会がそういう団体であることをメディアによっては認識しているわけです」

 旧統一教会が80年代ごろからメディアに対して行ったのは、「抗議」などという生易しいものではなかった。会社への直接抗議にとどまらず、記者本人の家に押しかけたり、家族の生活を脅かしたりするなど、犯罪すれすれの行為を組織的に行ってきた。そんなこともあって各メディアは腰が引けたのではないか、と藤森さんは推測する。

■記者の家を見張る信者

 1980年代、旧統一教会が印鑑や壺(つぼ)などを高額な値段で売りつける「霊感商法」が社会問題となった。そのきっかけとなったのが1986年に「朝日ジャーナル」で藤森さんらが始めた霊感商法追及キャンペーンだった。

「それまでは『開運商法』などと呼ばれていたんです。こんなにひどいことをやっているのに『開運』はないだろう、と。そこで、仲間とも相談して、追及キャンペーンでは『霊感商法』と名づけました」

「朝日ジャーナル」は断続的に旧統一教会を批判する記事を掲載してきた。それに対して旧統一教会は「信者が勝手に行っていることで、教会は関係ない」として編集部に抗議した。しかし、抗議の“効果”がないとわかると、教団は次第に記者本人や家族を標的にするようになった。

「86年12月ごろ、霊感商法追及キャンペーンを始めてすぐのころでした。当時、僕は東京・三鷹の借家に住んでいた。家主の息子が『未明から変なワンボックスカーが向かいに停まっている。中には屈強な若者が何人か乗っていてこちらをずっと見ているよ』って、知らせてくれた。それが嫌がらせ、個人攻撃の始まりでした」

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