ヤクルトの石川雅規
ヤクルトの石川雅規

 ヤクルトの石川雅規が巨人戦史上10位タイの通算33勝をあげた。過去の名だたる「巨人キラー」のエピソードを振り返ってみよう。

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 金田正一は通算400勝298敗。巨人戦は65勝72敗で勝率.474。FAの前身である「10年選手制度」を使って巨人に移籍した。国鉄(現・ヤクルト)時代は353勝267敗だった。巨人戦65勝は史上1位だが、全勝利数の18パーセントなので、他球団からも同じように勝ち星を稼いでいたということになる。1958年の開幕戦で新人の長嶋茂雄を4三振に打ち取ったのは語り草になっているが、翌59年の開幕戦でも新人の王貞治から2三振を奪っている。

 巨人戦51勝47敗、勝率.520の平松政次は、もともと長嶋茂雄のファンで、大洋(現・横浜DeNA)でプロ1年目の67年は「背番号3」を付けた。のちに野球漫画「新巨人の星」で、右投げに転向した主人公の星飛雄馬が「背番号3」を付けて復活を果たしたのを思い出す。その長嶋が「最も苦手にした」のが平松の「カミソリシュート」だった。プロ野球に耳あて付きヘルメットが導入されたのは、70年に阪神・田淵幸一が死球を受けたことがきっかけだが、内角にカミソリのように鋭く切り込んでくるシュートは打者から嫌がられた。長嶋との通算対戦成績は、181打数35安打、打率.193、三振33、内野ゴロ65、本塁打8だった。

 絶妙なコントロールとスクリューボールを武器に、中日最多の通算219勝をあげた山本昌は2015年の50歳まで投げ続けた。巨人戦の成績は43勝44敗で勝率.494。1990年代に最多勝3度。巨人には全員が通算150勝以上をあげた、槙原寛己・斎藤雅樹・桑田真澄の、いわゆる「先発3本柱」が存在したが、その投手たちを相手にも勝った。すなわち「巨人キラー」とは、強い巨人の大打者を封じることだけでなく、巨人の大投手に投げ勝つことでもある。だから価値が倍増するのだ。山本は、88年・99年・2004年・06年・10年のリーグ優勝に貢献している。

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