「そんな状態で教えられたことをただ信じているのが本当に信仰と言えるのだろうか? という疑問が湧いてきました。何度も年配の人や偉い人に疑問をぶつけて相談してみましたが、言われることは『神のお考えは人間にはわからないのだから、学んで布教しなさい』ということだけ。私がどんな疑問を持っても『考えるな。行動しろ』と一蹴されるだけでした」

 こうした疑問を持つ信者は教団のコミュニティーからは疎まれる。まるで“不満分子”のような存在となった美保さんは、その後、教団幹部から積極的に布教活動に参加していないことを理由に布教する資格を奪われ、母は子どもたちを洗礼に導けていないことを責められた。

「幸せになるために始めた宗教なのに、ただただ家族が壊れていくことに母は疲弊していました。しかも幹部の言葉でそれまで自分が行ってきたことがすべて否定されたように感じた母は、ついに『もうやめましょう』と言ったんです。でも、今思えば、私も洗脳されていたのでしょう。やめよう、という母に対して私は『これは試練なんだから、ここで負けちゃいけない!』となぜか奮起していたのです。私は20年間も信じてきたものが“うそ”だと認めるのが恐ろしかったんだと思います」

 教団にのめり込んでいった母に従っていた娘、という構図は逆転して、教団から距離を置こうという母親を美保さんが説得するという関係になっていた。

「脱会へ傾いた母に対して教団は態度を一変させ、徹底的に冷徹になりました。でも、その異様な豹変ぶりのおかげで、私も冷静さを取り戻すことができました。あれだけ熱心な信者だった母をやすやすと切り捨てようとする教団とは一体何なのか、という不信感がどんどん膨らんでいきました。そこで、心のどこかで教団を“信じ切れていなかった”自分は間違ってなかったんだと気づくことができて、むしろ気が晴れたというかとてもスッキリしました」

 こうして、美保さんが22歳の時に家族は全員脱会した。

 美保さんは7年前に仕事仲間の紹介で知り合った夫と結婚し、現在は一児のママとなったが、新たな生活にも“過去”が影を落としている。

子育てをする中で自分でも驚いたのは、自分の子ども時代がフラッシュバックすることです。子どもが言うことを聞かない時やかんしゃくを起こした時など、気持ちに余裕がないと『私たちが子どもの時にこんなことしたら、ムチでたたかれていたのに』と思い出してしまうんです。私は子どもらしいことをしただけでムチをちらつかされて怖かったのに、この子は自由に子どもらしくいられるのを見ると、うらやましい気持ちと同時に、親や宗教に対してやり場のない怒りが込み上げてくるんです。でもそんな時に、ふと母の気持ちが理解できたような、不思議な感覚にもなるんです」

(笠井千晶/AERA dot.編集部・作田裕史)