――会見での田中会長は常に落ち着いた様子でした。

 私が旧統一教会にいたのは1981年に東京大学の入学式直後に原理研究会に勧誘されたのがきっかけで、92年までの11年半です。幹部や幹部候補生のようなものになったことはありませんが、活動期間を考えると、田中会長とはひょっとしたらどこかで会っていてもおかしくないんですが、記憶にはありません。

 文教祖が生きていたら、教祖から電話がかかってきて「田中、神とサタンの戦いがお前にかかっている。最前線だ」と言われ、それに感動して泣いて、必死で役割を演じ切る、というようなことがあったかもしれません。これまで何度もそういうことを体験したのではないか、と思います。おそらく教祖が亡くなった今も、「教祖ならこう言うだろうな」と彼の中に内在化されているのだと思います。

 宗教団体のトップとして、田中会長の他人事のようなしゃべり方に疑問は感じました。ただ、表に出るとぼーっとした役人のように見えるが、個人的に会ったらものすごく人の話を聞いてくれるタイプの人が教団の幹部にいることが多々ありました。田中会長もそういうタイプなのかもしれません。

 教会をやめて思うのは、ただ話を聞いてくれたことに意味があったんだということ。誰でも自分の話を聞いてほしい。教会には「君がそういう問題で悩むのは、本質的に物事を考えようとしているからだ。いい加減な人はそんなこと気にしない。悩んで、壁にぶち当たる人こそ成長する」という感じで認めてくれる人がいる。本当の理解者を得たと思えるわけです。

 山上容疑者の母が、家庭が大変な状況だとわかっていても巨額の献金をしたということは、教会の中に理解者を見出したということは間違いない。献金強要といっても脅して奪い取れるわけではありませんから。本人は自分のことを全部さらけ出したいぐらいの気持ちになっていて、喜んでもらえるならと無理な献金もするわけです。布教では「先祖の霊がこういう罪をおかし、あなたもそれを負っている。私たちが知る教義によると、家族関係でこういう問題が起こることが多いんですが、心当たりありませんか」と上手く聞き出していく。霊感商法でたくさん売れる人、幹部に出世していく人は聞き上手です。

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責任者の仕事は「徹底的に話を聞く」こと