演説する安倍晋三元首相
演説する安倍晋三元首相

 安倍晋三元首相が、街頭演説中の奈良市西大寺東町の路上で凶弾に倒れた。最大派閥・清和政策研究会(清和会)の領袖で保守の象徴である安倍氏は、国政に大きな影響力を示してきただけに、今後の政治情勢にも変化を及ぼしそうだ。岸田文雄首相の政権運営や今後の政策にどんな影響が考えられるのか。政治アナリストの伊藤惇夫氏に話を聞いた。

【写真】安倍晋三氏を撃ったとみられる「手製の銃」

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 岸田首相と安倍氏は、これまで微妙な関係を見せていました。

 安倍氏は岸田首相に、人事や政策面でいろいろと注文をつけていました。これに対し岸田首相は、いなしたり、受け入れるそぶりを見せたりと、「曖昧路線」をとってきました。

 例えばごく最近では、防衛省事務次官の人事をめぐり、岸田首相は安倍氏の要望を蹴っています。他方で、防衛力の強化や改憲の問題では、一見、安倍氏の要求をのんでいるような姿勢を見せていた。しかし、岸田首相は安倍氏が主張してきた「防衛費を対GDP比で2%にする」という言質を与えることはしないし、改憲についても、参院選後に改憲勢力が3分の2を占めても、一気に進めるかは微妙なところです。

 岸田首相の曖昧路線は、意識的なものなのか性格のためなのかはわからないところもありますが、党内最大派閥である安倍派の存在が首相に影響を及ぼしていたのは間違いありません。安倍派は数の上ではこれからも最大派閥ですが、これまでのような影響力を及ぼせるかは難しいところでしょう。

 ふと頭に浮かんだのは、中曽根康弘氏と田中角栄氏の関係です。中曽根氏は田中氏の後押しを受けて、首相に就きました。そのため、当初は田中氏の意向に逆らえず、「田中曽根内閣」「角影内閣」などと揶揄されていました。しかし、脳梗塞で田中氏が倒れると、中曽根氏は“角栄離れ”をして、独自路線を確立していった。

 岸田首相が相変わらず曖昧路線でいくのか、岸田首相が率いる宏池会の伝統を意識した路線に軸足を移すのかが、注目されるところです。

 宏池会の創設者である池田勇人氏は、安倍氏の祖父である岸信介政権のあとを継いで首相の座に就きました。岸政権は安保改定などで非常に殺伐した社会状況を生みました。そのあとを受けた池田政権は「低姿勢」と「寛容と忍耐」で、「所得倍増計画」を掲げ、経済一本やりで高度経済成長を遂げました。

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吉崎洋夫

吉崎洋夫

1984年生まれ、東京都出身。早稲田大学院社会科学研究科修士課程修了。シンクタンク系のNPO法人を経て『週刊朝日』編集部に。2021年から『AERA dot.』記者として、政治・政策を中心に経済分野、事件・事故、自然災害など幅広いジャンルを取材している。

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