ウクライナの英雄的存在であるフメリニツキー。首都キーウの中心に位置するソフィア広場に銅像が立つ。紙幣にも肖像が用いられている
ウクライナの英雄的存在であるフメリニツキー。首都キーウの中心に位置するソフィア広場に銅像が立つ。紙幣にも肖像が用いられている

 ウクライナ侵攻に踏み切って以来、ロシアのプーチン大統領は「ロシアとウクライナは同じ民族だ」と主張している。言うまでもなく両国は異なる主権国家であり、仮に同じ民族だとしても、武力による現状変更を正当化することはできない。だが、プーチン大統領が「同じ民族」という主張を繰り返す理由は、ロシアとウクライナの歴史をひもとくことで見えてくる。『地政学×歴史で理由がわかる ロシア史 キエフ大公国からウクライナ侵攻まで』(朝日新聞出版)が、その詳細を解説している。

【写真】写真家・児玉浩宜さんが撮影した、戦時下のウクライナに暮らす人々

 ロシアから東欧にかけて分布する民族を「スラブ系」と呼んでいる。現在のウクライナ西部からポーランド東部にかけての地域が故地であると考えられ、7世紀頃からゆっくりと居住地を広げ、東スラヴ系、西スラヴ系、南スラヴ系に分かれた。ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人は、同じ東スラヴ系に属する。

 ただ、民族とは言語や文化、宗教を共有する人間の集団のことで、人々が帰属意識を持っていることも重要。「民族」の範囲は必ずしも固定的ではない。ウクライナ語とロシア語は似ていると思われがちだが、実はウクライナ語は、ロシア語と文法や語彙(ごい)がかなり違っていて、語彙(ごい)の面ではポーランド語とのほうが共通するものが多いと言っていい。1991年にウクライナが独立して以降は、「ウクライナ語が国語である」と憲法に記載されるなど、「ウクライナ人」としての意識が強まっていた。特に、2014年にロシアがクリミア併合を強行してからは、東部のロシア系住民さえもウクライナ人としてのアイデンティティーを強めていった。プーチン大統領の主張とウクライナ人の意識は、相当に乖離(かいり)しているのだ。

 歴史的にみると、ウクライナの歴史はロシアとは切っても切れない関係にあることは確かだ。

 ウクライナはアジアからヨーロッパへの入り口にあたり、国土も平たん。古来、多くの民族や国家が進出し、翻弄(ほんろう)されてきた。9世紀にはキエフ大公国が繁栄したが、13世紀以降はモンゴルやリトアニア、ポーランドなど異民族による支配が続く。15世紀になるとウクライナの草原地帯には自治的な武装集団「コサック」が現れる。17世紀、ウクライナ・コサックの首領フメリニツキーはポーランドに反乱を起こし、事実上のウクライナ人国家を建設。彼はポーランドへの対抗上、モスクワ大公国の保護下に入るが、これがのちに、ロシアがウクライナを併合する口実となる。

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チェルノブイリ原発事故の影響