はやぶさ2のプロジェクトマネジャーを務めた津田雄一さん
はやぶさ2のプロジェクトマネジャーを務めた津田雄一さん

 2022年6月29日、小惑星「リュウグウ」から貴重なサンプル(試料)を持ち帰った「はやぶさ2プロジェクト」が正式に終了することが発表されました。今後は、「はやぶさ2拡張ミッション」という新しいプロジェクトに引き継がれます。6月以降、試料の分析結果が徐々に明らかになってきていますが、はやぶさ2はなぜ9つもの世界初を含む偉業の数々を成し遂げることができたのでしょうか。それらを可能にしたマネジメントの秘密の一端を、『はやぶさ2のプロジェクトマネジャーはなぜ「無駄」を大切にしたのか?』(津田雄一著)から一部を抜粋・加筆して解説します。

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■机も名刺もなかった、就職1日目

 はやぶさ2の先輩、初代はやぶさが打ち上がった2003年は、私がJAXAに就職した年でもありました。正確に記せば、JAXAという組織はまだありません。この年の10月にISAS(宇宙科学研究所)、NAL(航空宇宙技術研)、NASDA(宇宙開発事業団)という3つの航空宇宙機関が統合されてJAXAは発足します。

 大学で宇宙工学を学んだ私の興味は、深宇宙探査に向けられました。それを仕事にしたければ、3つの航空宇宙機関の中でも宇宙科学研究所(宇宙研)に行くのが選択肢の一番目になると思っていました。その大きな理由の一つがはやぶさです。在学中に計画を知り、「そんなすごいことを日本がやるのか」と純粋に驚き、プロジェクトを手がける宇宙研を就職先の第一志望にしたのです。

 大学院修了後、念願叶ってはやぶさのプロジェクトマネジャーをしていた宇宙研の川口淳一郎さんの研究部門に採用されました。しかし、辞令もなければ、入社式もありません。4月になって神奈川県相模原市にある宇宙研に行ってみると、川口さんは不在。5月9日のはやぶさ打ち上げのため、鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所に出向いていたからです。

 研究所には自分の居場所がありませんでした。机もなければ、名刺もない。仕事の指示を仰ごうにも、同じフロアのメンバーの大半は内之浦に行っています。見かけるのは研究部門に所属している大学院生ばかり。ですが、その中に1人だけ見知った顔があった。大学時代に1年間だけ研究室で一緒だった佐伯孝尚さんです。

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緊迫した現場で学んだ「想定外を想定する」ことの大切さ