元テレビ朝日アナウンサーの大木優紀さん(撮影/加藤夏子)
元テレビ朝日アナウンサーの大木優紀さん(撮影/加藤夏子)

元テレビ朝日アナウンサーの大木優紀さん(41)は、40歳を超えてからベンチャーの旅行会社「令和トラベル」に転職した。その挑戦の理由を聞きたいと取材依頼をすると快諾してくれたが、こんな言葉も口にした。「実は私、転職後はメディアに出て話すことはやめようと思っていたんです」。その言葉の真意とは? 自分なりの働き方を模索し続けた転職後の思いを聞いた。

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前編」から続く

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――2022年1月、大木さんはテレビ業界とは全く異業種の旅行会社「令和トラベル」に転職されました。同社は海外旅行予約のスマホアプリなどを開発・提供するベンチャー企業ですが、そもそも、海外旅行について高い関心があったのでしょうか。

 すごくありました。テレビ朝日時代には年に2回の長期休暇は必ず海外旅行に行っていましたし、週末も何回かは弾丸ツアーで海外に行っていました。海外旅行に行くことをモチベーションに仕事をがんばっていたところもありました。ですから、コロナ禍になり、海外旅行に行けなくなってからはフラストレーションが溜まっていました。友達には「優紀は海外旅行に行けないから転職したんじゃないか」と言われるくらい(笑)。

 私は旅前に綿密に計画を立てることが好きで、実際の旅はその“答え合わせ”をしに行くような感覚なんです。私自身はその手間が好きだったけれども、旅前の部分を簡単にして、手間を省きながらも海外旅行のワクワクを提供できるシステムにものすごく魅力を感じました。そのサービスを提供しようとしているのが今の会社でした。弊社のビジョンは「あたらしい旅行をデザインする」というものなのですが、それにすごく共感できるところがあって、もっとこのワクワクを広めたい! と思ってこの世界に飛び込みました。

――テレビ朝日とは企業の規模も風土も違うとは思いますが、実際に入社してみてギャップを感じるところはありましたか。

 ギャップというか、スキルも含めて何もかもが足りないと感じました。私は会社のビジョンに惹かれ、情熱だけで飛び込んでしまったので、新卒の学生さんのように自分の適性を考えたり、入社までに必要なスキルを鍛えたりすることはしてきませんでした。ですから、入社直後は本当に大変でした。まず、みんなが使っている言葉の意味がわからない。SlackやNotionが何のツールなのかもわからなかったくらいです。だから、本当にゼロから聞きまくって一つ一つ教えてもらって勉強していく毎日でした。でもそのレベルだったので、中途半端なプライドもありませんでした。「自分はわかっている」というプライドが少しでもあったら、もっと苦労したと思います。

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「元女子アナ」と言われることへの違和感