天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)

 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「ファンサービス」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。

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 俺がこれまでプロレスでしてきたファンサービスで一番なのは、やっぱり自分のすべての技を出しきって、心身ともにくたくたになるまでやりきることだ。何日後かに大きな試合があるからといって力をセーブしたり、地方だからといっていい加減な試合をしたり、出し惜しみをしたりせずにね。だから、最後の最後まで必殺技を出さないスタン・ハンセンのようなスタイルは好きじゃない(笑)。技が返されたら何度でも出せばいいんだよ。ファンはそれを見に来ているんだから。だって、好きな歌手がコンサートで代表曲やヒット曲を歌わなかったら「なんだよ!」って思うだろう。

 すべての技を出しきって、その上で勝つのが理想だ。そう思い始めたのは、阿修羅・原と二人で、後楽園ホールに空席が目立つようになって「なんとかしなきゃいけない」となってからだ。それまでの俺はそんなに余裕がなかったからね。相撲からプロレスに転向したものの、デビュー戦から尻すぼみで「天龍はたいしたことないな」なんて言われてね。ファンはジャンボ鶴田や藤波辰爾のような選手を期待したんだろうけど、試合もうまくいかないし、パッとしない俺がいて、罵声も浴びせられて……。正直、当時の俺はファンのことを「面倒くさい」「邪魔くさい」と思い込んでしまっていた。

 でも、そんな中で、少しでもがんばると声援を送ってくれたり、俺のことを応援してくれるファンが後楽園ホールの何千人の中にも何人かいることが分かって、ようやく「俺のことを見ていてくれている。期待に応えなきゃいけない」という気持ちが芽生え、「リングの上でぶっ倒れてもいい」という思いでやれるようになったんだ。この連載でも紹介したことがあるけど、俺がパッとしないときから現在に至るまで、ずっと応援してくれる竹内兄弟のような、数十年の付き合いのファンもいるからね。

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天龍源一郎

天龍源一郎

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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