現役時代の中日・川又米利(OP写真通信社)
現役時代の中日・川又米利(OP写真通信社)

 NPBでは2017年から“セカンドコリジョン”が導入され、本塁上での危険行為とともに、二塁上でのラフプレーも規制の対象になった。きっかけとなったのは、前年の16年4月3日の日本ハムvsソフトバンクで、田中賢介の併殺崩しのスライディングにより、川島慶三が負傷退場した事件だったが、血気盛んな選手が多かった昭和期には、二塁上でのトラブルをめぐり、両軍ナイン総出の乱闘騒ぎも何度か起きている。

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 昭和40年代に“殺人スライディング”で物議を醸したのが、阪急・スペンサーだ。

 本塁上で猛タックルを受けた南海捕手時代の野村克也が吹っ飛ばされた事件が有名だが、スペンサーは二塁上でも激しいスライディングを見せ、時には負傷者も出た。

 1967年5月20日の近鉄戦の1回、一塁走者・スペンサーはウインディの投ゴロで二封アウトになった際に、二塁ベース上の小玉明利目がけて併殺崩しの強烈なスライディングをお見舞い。蹴り倒された小玉は担架で運ばれて病院送りとなり、左膝外下部挫傷で全治1週間。一塁への送球もバランスを崩してワンバウンドでセーフと、踏んだり蹴ったりだった。

 さらに小玉は、復帰直後の同年6月7日の阪急戦でも、三ゴロに倒れた際に、それた送球を無理な体勢で捕球したファースト・スペンサーに首筋を殴りつけるようにタッチされたことに怒り、乱闘に発展している。

 これも前出の二塁上でのラフプレーの遺恨が尾を引いていたようだ。

 東映時代の張本勲も、65年4月11日の東京戦で、スペンサーに劣らぬ暴れん坊ぶりを披露している。

 1対1の7回2死、坂井勝二から死球を受けた張本は、怒りをあらわにして、ヘルメットとバットをグラウンドに叩きつけた。これが事件の伏線となる。

 次打者・坂崎一彦の2球目、張本は二盗を試みたが、タイミングは余裕でセーフなのに、二塁ベースカバーのショート・山崎裕之目がけて足を高く上げながら激しくスライディングした。

 幸いにも山崎はソックスを2枚履いていたので、難を免れ、ベースタッチしていなかった張本はタッチアウトになった。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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張本に「わざとやったな。汚いプレーはやめろ」