1991年の武藤敬司では大金星を挙げた蝶野正洋
1991年の武藤敬司では大金星を挙げた蝶野正洋

 プロレスは究極のエンターテインメント。レスラーは鍛え上げられた肉体を使った最高のパフォーマンスを行う。そしてストーリーを陳腐にすることなく最高のショーに仕上げなければならない。ファンの多くは、試合前後の流れ、勝敗などを予想をした上でプロレスを楽しむ。しかし時に起こる想定外に驚かされ熱狂が生まれる。プロレス史に残る『番狂わせ』を振り返ってみたい。

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●1983年6月2日(蔵前)新日本 ○ハルク・ホーガン(21:27/KO)×アントニオ猪木

~猪木が舌出し失神…IWGPリーグ戦初代王者はホーガンだった

 日本が世界に誇る最高峰ベルトIWGP(現IWGP世界ヘビー級王座)。「プロレス界における世界最強の男を決める」という理念でリーグ戦形式から始まったが、第1回IWGP決勝リーグ戦で波乱が起きた。IWGP構想を立ち上げた猪木が勝つことで新日本の世界戦略が進むはず、と誰もが予想していた。しかし場外で舌を出した状態での失神KO負けという信じられない結末を迎えた。

 同リーグ戦は猪木、ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアントの3人を中心に進行。前日にアンドレが両者リングアウトの引き分けで脱落したことで、同率首位となった猪木とホーガンの優勝戦が決定した。試合の行方を決めたのはホーガンが3発放った必殺技アックスボンバー。1発目はリング内で半身のところへ、2発目は場外での後頭部、そして3発目はエプロンに立った真正面へ。3発目を受けて場外へ崩れ落ちた猪木は失神してKO負けとなった。

 猪木の勝利と思われていた中での信じられない結末。そして「猪木は本当に失神していたのか?」など時間とともに出てきた多くの疑惑や事実。様々な意味で「プロレスらしさ」を感じさせる『番狂わせ』だった。


●1991年4月30日(両国)新日本 ○保永昇男(21:54/ダルマ式ジャーマン・スープレックス・ホールド)×獣神サンダーライガー

~プロレス人生の転換日…前座試合常連だった保永がジュニアの頂点に立つ

 新日ジュニア春の祭典であるトップ・オブ・ザ・スーパー・ジュニア(現ベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニア)。ライガーをはじめ金本浩二、大谷晋二郎、エル・サムライなど数々のレジェンドを生み出してきた。またペガサス・キッド(後のワイルド・ペガサス、クリス・ベノワ)などWWEへステップアップした者もいる。そして第1回優勝者は越中詩郎だった。毎回ニューカマーが生まれ話題を提供してきた大会、過去最大の驚きは第2回大会の保永の優勝だろう。

 IWGPジュニアヘビー級王座決定戦としても行われた優勝決定戦。優勝候補筆頭と言われたライガーの大技を受けながらも返し続け、「ダルマ式」と呼ばれるクロスアームのスープレックスで勝利を収めた。メキシコ修行から凱旋帰国も前座レスラーとして時間だけが経過していた保永。この時の優勝が大きな転換期となり、その後はIWGPジュニア王座を計3度戴冠している。両国の屋根を突き破る勢いだった試合後のホナガコールは名場面だ。

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