慶応大時代は“高橋由伸2世”と注目された谷田成吾
慶応大時代は“高橋由伸2世”と注目された谷田成吾

 高校通算本塁打数の歴代ランキングは、早稲田実時代の清宮幸太郎(現日本ハム)が111本で歴代トップ。野球ファンの間で通算本塁打数が関心を集めるようになったのは、64本を記録したPL学園時代の清原和博あたりからだが、ランキング上位に名を連ねながら、プロ入りしなかった選手も何人かいる。

【写真】「通算本塁打数」が注目される現役球児の1人がこちら

 清原と同世代で、通算78本塁打を記録した此花学院の田原伸吾もその一人だ。

 清原を上回る本塁打数から“浪花のベーブ・ルース”と注目された田原は、1985年夏の大阪大会2回戦、東住吉工戦で万博球場の場外へ同点2ラン、3回戦の大商大付戦でも右翼ポール際に2試合連続のソロを放ち、通算本塁打数を78まで伸ばした。

 だが、清原自身は田原を「いいバッターやった」と認めながらも、「まあ、やってる試合数が違う。PLはそんなに練習試合せえへんかったからね。なんぼ70何本いうても、おんなじ試合数やったらオレのほうが打ちますよ」(「高校野球熱闘の世紀。」 ベースボールマガジン社)と明言。実際、清原は64本中47本を公式戦で記録し、田原の7本を大きく上回っていた。

 くしくも両者は、同年夏の大阪大会準々決勝で対決している。

 初回、2点目のタイムリーとなる左前安打で出塁した清原は、「この男がそうか」と言いたげに、一塁手の田原に視線を投げかけた。田原も負けずに視線を合わせ、お互いパチパチと火花を散らした。

 最大の見せ場となったのは、0対5の9回だった。桑田真澄に8回まで2安打に抑えられていた此花は、先頭の米崎薫臣が左翼線二塁打を放ち、最後の意地を見せる。そして、2死三塁で4番・田原に打順が回ってきた。

 桑田の140キロ直球をジャストミートし、「(79本目の)ホームランと思った」右中間最深部への大飛球は、わずかに桑田の球威が勝り、フェンス最上部を直撃する二塁打になったが、此花は主砲のタイムリーで最後に一矢報いた。

「9回は涙が出た。みんなが“田原まで回せ”って言ってくれて、それで打てた。僕はみんなのお蔭で胸を張れます」と納得して高校最後の試合を終えた田原はその後、明大、谷組、TDKでプレーを続け、都市対抗にも出場している。

著者プロフィールを見る
久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

久保田龍雄の記事一覧はこちら
次のページ
清宮に抜かれるまでトップだったのは?