その数年後、私は自分でセックストイのお店を始め、自分のお店でもAVを売り始めた。男性向けエロ本で紹介していた「若くキレイなAV女優」のものではなく、当時売り出しはじめていた女性監督による「性表現」作品を選んでいた。内容も吟味し、女性が主体的に描かれているAVを探していた。私にとって、「AV」に「加害性」があるとすれば、幼児虐待や、犯罪行為をリアルに表現するようなものがフツーに売られていることだった。100人くらいの男優に精液を顔にふりかけられるような表現や、何十本もの電マをあてられ痛がる姿が記録されるような暴力的なAVがフツーに出回っている異常さが、日本のAVの問題だと考えていた。

 それが一気に変わったのは、2015年にAV出演を契約後に断った女性が業者から訴えられた裁判が大きく報道されたことだ。この女性は、支援団体につながり裁判に勝つことができたが、これを機に、「自由意思」とされてきたAV出演には、甚大な被害があることがものすごい勢いで明らかになっていったのだ。毎日のように「AV強要被害」の記事が大手メディアを賑わすこともあった。これまで安心して見られていた娯楽に被害者がいるのかもしれない、という事実に社会は衝撃を受けたのだ。

 私はその頃から支援者の方々とつながるようになったが、現場で聞こえてくるAVの被害とは、弱小の悪質なメーカーによる特殊な例ではなかった。被害を被害と捉えられないで長い間生きてきた末、激しいPTSDに苦しみ、「あれは性暴力だった」と気づく人もいた。誰もが知る大手メーカーからの被害を訴える人もいた。有名監督からの被害を訴える人もいた。女性向けの作品と言われているものでの被害を訴える人もいた。驚いたのは、私がエロ本会社でアルバイトしていた90年代に受けた被害を訴える人も決して少なくなかったことだ。

 20代のあの編集部で「生き生き」と働いていた自分のことを思い出す。

 あの時も、被害者はいたのだ。私が出会った女性たちの中に、今も苦しんでいる人がいるかもしれないという想像は、かなり私を苦しめることになった。自分のお店では日本のAVの販売はやめ、しばらくアメリカとヨーロッパのものだけを売る……というようなこともしていたが、結局、今はもう一切売らないと決めた。「需要をつくる」ことがAVを再生産させる力になってしまう事実に向き合わなければと思った。

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過去の自分の無関心さに苦しめられる