1987年8月静養先の那須御用邸。ルーペを手に植物観察をしながら散策する昭和天皇
1987年8月静養先の那須御用邸。ルーペを手に植物観察をしながら散策する昭和天皇

 1901年4月29日に、のちの昭和天皇となる迪宮裕仁(みちのみや・ひろひと)親王が誕生してから今日で120年が過ぎた。即位してからは陸海軍大元帥として、そして終戦後は象徴として二つの人生を歩んだ。その昭和天皇が1989年に亡くなると、4月29日は「みどりの日」となり、07年に祝日の「昭和の日」となった。いまの皇室とはまた違う素顔を持つ昭和天皇にまつわる証言を、取材ノートから掘り起こした。

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 ときには、赤ちゃんの前にしゃがみ、その母親とおしゃべりをすることもある。

 天皇陛下と皇后雅子さまのこうした場面は、時代を経て皇室の在り方が変わったことを伝えてくれる。

 昭和天皇を間近で見たひとたちは、ラストエンペラーととらえる人も多かった、と述懐していた。

 新潮社の写真部長を務めた島田啓一さんも、晩年の昭和天皇の誇り高い姿を目にしたひとり。かつて、記者にこんな話をしてくれたことがある。

「東京・元赤坂の迎賓館で外国の元首を迎えたときのことです。階段を下りる際、よろけそうになった昭和天皇に、元首が手を差し出したのです。すると、昭和天皇はその手をバッと払った。お立場への誇りでしょう。思わず、隣にいたカメラマンに、すごいねとささやいた覚えがあります」

 時代背景は異なるが、天皇としての矜持を感じさせる場面もあった。

「天皇の専用車は、厚い防弾ガラスがはめられている。昭和天皇は、真夏でも窓を閉め切った車内で冷房をかけることを許さず、スーツ姿で汗もかかない。周りは、参ったそうです」

ミッキーマウスの腕時計

 学研で皇室カメラマンとして活躍した瓜生浩さんは、昭和天皇の写真を買いたいと、自分のところに希望してきた外国メディアは多かったと語っていた。

「海外から見ても、ラストエンペラーだったのですね。我々は、昭和天皇の姿に人格そのものを感じながら撮影していました。手の動作ひとつ取っても存在感がある方でした」

 昭和天皇の魅力は、ひょんな場面で見せる人間臭さでもあった。

 女性週刊誌「女性自身」で長く皇室取材を続けていた河崎文雄さんは、現場だからこそ、人柄を垣間見える写真が撮れたと生前、語っていた。

 河崎さんが「撮った」のは、昭和天皇の意外な素顔だった。

昭和天皇が海洋生物の視察に出たときのことだ。

 撮影場所はかなり距離があった。幸運なことに河崎さんは、「長玉(ながたま)」と呼ばれた望遠レンズを使って撮影していた。編集部に戻って写真を大きく引き延ばしてみると、昭和天皇が着用していたのは、ミッキーマウスがデザインされた腕時計だった。

 実は、昭和天皇はその前年にアメリカを訪問していた。そのお土産にディズニーランドでもらった時計を腕にはめていたのだ。

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「今日、私は間違っていなかっただろうか」昭和天皇の独白